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みんなの公園
2010年 07月 26日
お久しぶりです。な、なんとっ!4月に書き始めた記事をやっとアップしております…

数ヶ月前(…くどいようですが、4月の時点で、です…)の或る日、犬の散歩で歩いていたら、近くの家から出て来た人と目が合った瞬間に言われた言葉…「もしかして…おたくですか?」

続きをかいつまむと、要はそのお宅の門の近くにいつも糞をするの、うちの犬じゃないか、いつも糞の始末をしないマナーの悪い飼い主は「おたくですか?」…という質問。

その後のやりとりの詳細はキリないので省きますが、「マナーさえ守ってくだされればいいんですけど…」って、後から落ち着いて(?)考えてみると、道を散歩してるだけの人にイキナリ、「いつもここに糞を放ったらかしにしてるマナーの悪い人はあなたですか?」って言う、そういうおたくのマナーはどうなのよ!

ビンゴが気配を察して(?)も~早く行こ~よ、みたいな顔してるのを引き留め、うちじゃないと説明しても、「じゃ、なんでこっち見てたんですか?」だって…

…あのねえ、通りを歩いてて人が出て来る気配とか物音がすれば、犬って立ち止まってそっちを見るもんなの。おまけにビンゴくんは未だ若いテリアなので、好奇心旺盛! 家から出て来る人だけじゃなくて、とにかく何でもじぃ~~~っと見るのよね
で中には犬好きの人が居てニッコリ笑ってくれたりする場合も結構あるので、どういう人が出て来るのかと、飼い主もついでに立ち止まって待ってたのが悪いんだけどね

全然身に覚えのない事なのに、何故か説明モード(言い訳モード?)になってしまい、考えてみるとそれは、むこうが先手を取って、しかも自分は「正しい事」を言ってると信じてる!からじゃあないか?

こっからが本題ですが(やっと?)、…なんか、「マナー」って言えばいいと思ってる人「マナー」が絶対というか、自分はマナーを守ってるから正しい(側)というか、そんな感じの人、結構居ないですか?
…確かにマナーを守るのは大切だけれど、でもマナーっていうのは、そもそも相対的なものなんじゃないかって話です。(…「マナー」を「規則」と置き換えてもいいかも…)

例えば「世の中、犬の好きな人ばかりじゃない」というのはその通りで、散歩をさせる時など常に注意してますが、逆に「世の中、犬の嫌いな、或いは苦手な人ばかりじゃない」という事を、そういう人たちに言う人は余り居なくない??

でもスペインに行ったら、街の公道や公園をフリーで散歩してる犬たちが居て、それを我慢(?)してるのは犬嫌い、もしくは犬の苦手な人たちの方なんだけど…というのはちょっと省略し過ぎですが、要はスペインにも「犬の嫌いな人や苦手な人」はおり、そして「マナーの悪い飼い主」もいるけれど、両方がフツーに「同じ社会に居る」って事です。
そして何より、犬の事に限らず一般的な話として、注意をしていても人間だからミスる事はある、いつもはマナーのいい人でも、それを忘れてしまったり、不本意ながら守れないような状況だってある、そういう「些細な失敗」に対しては許そうとする大らかさが、彼の国の人たちにはあるような気がし、そういう人との接し方こそがほんとのマナーじゃないかなどとも思う。

うちの近所には比較的最近建て直された都市公団だかの賃貸住宅が拡がっていて、建て直しの際には歩道のない狭い道路を補うように道路に接して遊歩道が作られ、他にも公開空地だとかビオトープだとか、地域の皆が楽しむ事を目的として作られたと思われる部分があり、そして現に、最初は誰でも自由に通っていいという事になってた。はっきりそう書いてある立て札が立ってたんだから!

それがいつの間にか「犬の散歩禁止」「困っています 糞と尿」等々の立て札に取って替られてしまったのは何故か?

ここで、上のマナーを振りかざす人たちは、すかさず答えるだろう、「それは犬の飼い主たちのマナーが悪いからだよ」って(…そういう人たちはこんなブログ読んでないってばサ…)

でもその「周辺」を散歩していて感じるのは、ペット禁止の公団に住んでて自分は飼えないけれど、犬と触れ合いたい、子供にも触れ合わせたい、というような住人の方がむしろ圧倒的に多い気がするのだ…
それに知ってる限りの飼い主さんは皆、糞の始末とかちゃんとしてるし…
(放し飼い?の猫とかカラスの糞尿被害だってあるのに、それについては何にも立て札がないのは何故だ??)

日本ではどうも、「犬嫌い」の人の声の方が「犬好き」の声より、圧倒的に大きいみたい?

この町の公園には大体、犬の散歩だけでなく子供の遊びその他についても注意書きが書いてあるのに、ゲートボールで公園を占領しちゃってるお年寄り?や、サッカーや野球をやってる子供達よりも、犬を散歩させてる方が肩身が狭い気がするのはなんで??

そういえばスペインの公園でボール遊びしてるのって見た事ないな…老若男女、それこそあらゆる人が散歩してるけど。大きな公園には飲み物やスナック類をオープン・スペースで楽しめる店があったりして、ごくフツーに犬連れOKです。でみんな、特にそういう訓練を受けたとは思えないのだけど、テーブルの足等に繋がれて大人しくしてるし…

建て直しされた時には「地域との共存」を目指して設けられたと思われる日本の公団の公開スペースが、「犬の散歩禁止」になってしまう前に、何か打つ手はなかったんだろうか???
「犬の糞は困る」と少数の人が言ったら、短絡的に「犬の散歩禁止」になってしまったような気がしてならないのだけれど…

「自分とは立場の違う人間が世の中には居る」という事は当たり前の事であって、お互いに我慢したり尊重したりする事によって社会での共存が成り立つ訳なのに、日本人は「自分と違う立場」の人に「自分と同じ重さ」があるという考え方に慣れてないというか、立場の違う人間同士がフツーに話し合うというのが、どうも苦手な気がする。

ところで、その公団に接して小さな公園がひとつあり、そこにも「困っています 糞と尿」の(市の?)立て札が立てられている。おまけにその公園、町内会のボランティアさん?が毎週のように出て掃除をしたり花を植えたり…いつも、すごく奇麗に手入れされてるので、「犬の散歩禁止」ではないけれど、何となくはばかられて(?)、余り中に入る事はなかったんですが、枯葉の季節に、大勢のボランティアさんが出てその掃除をしておられた事があり、それが気になって仕方ないビンゴ君、いつもは横を素通りする公園に入って行って皆さんのお仕事に注目…
でなんとなく、「すいません、いつもは入らないんですけど好奇心が強いもんで、誰かが何かしてるとじっと見ちゃうんです…」などと、別に訊かれたワケじゃないのに説明してると、中のひとり、中年の紳士が「いいんですよ、みんなの公園なんだから!」と笑顔で答えてくれた。それまでその町内会に、なんとなく上のマナー小母さんの集まり、みたいな性格を勝手に想像してたので(だって、いつも奇麗に手入れされてるし、週末等のボランティアの集まりもいいみたいだし…)、なんか意外な感じがしたのが、次の週末だったか?又大勢で枯葉掃除をしてる真っ最中に、ビンゴくん、道の縁石の近くの草花に道路から足を上げて、止める間もなくチー… すると今度は、少し離れたところでそれを見ていた中年の夫人がスカサズ、ほんとにスカサズ!「まあ~、ちゃんと肥料までやってくれて!」…

…いや、一瞬スゴイ皮肉を言われてるんじゃないかと思ったくらいで…
でもその翌日、今度はひとりの熟年男性(町内会総出の日以外も、いつもひとりでも公園の手入れをされてる方)が、しかも向こうから何か言いたげな顔で来たので、てっきり文句言われるのかと思ったら、「見てよこれ、昨日ぜ~んぶ奇麗にしたばっかりなんだよ!」…前の晩の大嵐で、折角皆さんが奇麗にしたところへ又枯葉や枯れ枝がい~っぱい積もっちゃったのを嘆いてたのだった。それならこちらも、大変ですね~、昨日の晩はすごかったですよね~、いつもご苦労様です…などと返す事ができるよ、ホッ…

この3つのやりとりが重なって、この公園は町内会の義理や義務感ではなく、本当のご近所づきあいが出来ている人たちが集まって世話をしている、「みんなの公園」というのは公園の立て札に書いてある建前ではなく、ほんとにそうなんだと思えて来て、今では時々中を通ってます。夏は木陰がありがたいし。

社会においてマナーを振りかざす人って、自分のマナーが絶対的に正しいって思ってるんじゃないだろか?
そして最近の日本の社会が昔に比べて大らかでない気がするのは、そういう視野の狭いマナーが、何故か巾を利かせてるからじゃないだろか??

そんな日本の社会が、本当の意味で「みんなの公園」のようになる事を願いつつ、猛暑となった2010年の夏、頑張って(時間をずらして)お散歩しております(散歩を頑張るというよりは、時間をずらすのに頑張る感じ?)。最近の写真はないので(暑くて写真撮る元気なし…)、少し前の梅雨時、毎朝雨上がりの公園(記事とは別の)でオトモダチと枝やボールの取りっこをして遊ぶので、足も口の周りも泥だらけ、ヨダレだらけになって帰って来ていた頃の写真を数枚。
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散歩から帰った玄関で…ヨレヨレのドロドロのモジャモジャ(オマケに暗いし)


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(↑分かりにくいので)…別の時に撮ったヨレヨレドロドロモジャモジャの「どアップ」です。

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相変らず「くっつき虫」です。


では又いつか…??)
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by peque-es | 2010-07-26 12:46 | Japón,Japan,Nippon..
どんぶり勘定のススメ
2008年 11月 08日
スーパーのレジで、例えば合計の下3桁が723円になったとする…
で722円なら小銭で払えるって時に、日本のレジのお姉さん(又はオバさん、最近は若いお兄ちゃんなんて事も結構ある?)たちは、なんで「じゃ、1円オマケ」と言ってくれないんだろう? と思ってしまう≪ちょっとスペイン≫です。

何故なら、財布から小銭を出しながら、え~と7百2十…あ~でも1円玉2個しかないや…って言ってると、スペインだったら先ず間違いなく、「あ、2円でいいですよ」とか、「1円貸し、ね」とか言って、それでOKになる。この場合「貸し」と言っても、後から1円持って来られる事を期待してる人は先ずいないので、「1円オマケ」と言うのと同じ事。(興味のある方は、フラッシュバック・スペインの「お店の人」に少し書いてますので、ご参照下さい。)

そういう国に長く住んでたもんで、たった1円のために、無言で1000円札がもう一枚出て来るのを待ってる日本のレジ嬢たちが、すご~く無口でブアイソに思えるのだ…

実はこれ、オツリの話として、「日本標準、世界標準」の最初のネタにしようと思ってた話。
というのも、世界中で見ると、多分スペイン式の方が多いんじゃないか?って気がするのだけれど…どうでしょう?

以前ウィーン在住の友達に聞いたところでは、オーストリアもスペインのような感じらしかったし…
但し、その話をしていた時、こっちは「日本のレジって、そういう時になんで何にも言ってくれないんだろう?」(つまり、「日本人て杓子定規過ぎない?」)と言ったのに対し、彼女は「…そういうので、1日の誤差がかなりの額になる事もあるんだってサ…」(つまり、「外国人ってなんていい加減なの?」)というニュアンスの違いがあった事に、後から気がつきましたが!

でも、スペインでは、上の「お店の人」に書いたように、逆にレジに小銭がなかった時は、「1円借り、ね」と言われてしまうので、大きい目、長い目で見たらトントンというか、お互い様というか…少なくとも、こういうシステム(?)だからって、スペインのスーパーが日本のスーパーに比べて経営不振だとか、景気が悪いっていう感じはしないし、お客の方も、それで金持ちになったとかいう話は聞かないのだ…

日本でも、昔の八百屋さんとかだったらオマケしてくれた気がするのですが…

人生も世の中も、余りに杓子定規だと息が詰まる…だけでなく、細かい事ばかり気にしてると、本当に大事な事を見逃してしまうんじゃないか? 今の日本社会は、どうも枝葉末節にこだわり過ぎて、大きなところで無駄又は損をしてるんじゃないか? っと思うのです。

例えば上のようなシチュエーションでも、1円足りなかった為にかかる時間と、オツリを払う手間、更には、いつなんどき、どんなオツリでも払えるように準備しておく手間とかを考えると、1円より多くなるとか…???
それに、「じゃ1円オマケ!」「ありがとう!」っていう会話のチャンスもなくなるし!?


前にも書いた事があるけど、電気代等光熱費の集計。日本は水以外は毎月だけれど、世界中でそういう国はどれ位あるのか? あれをスペインのように2ヶ月毎にするだけで、もしかすると今値上げしようとしてる分くらいのコストは削減できるんじゃない?と思うのだ。(少なくとも、それ位の努力をした上で値上げの話をして欲しい、のだ。)

ついでに言うとスペインでは、例えば電気でも電話でも、家を替わる時に、新契約を結ぶ代わりに前の人の契約を受け継いで名前を変えられる制度があって、その方が新規の契約よりも安くできたり、只だったりする。
で、その間の電気代とかはどうするか?っていうと、やっぱりどんぶり勘定で、例えば該当する2か月分の請求書を折半で払うとか、テキトーに取り決めるわけです。

日本人同士だと、その辺も難しそうですかね…
でも…そうやって、何の不都合もなかったよ! 
どっちが100円損したとか、500円得したとかって事よりも、高い契約をしなくて済むように話し合える相手だった事がラッキーじゃないですか?
電力会社の方でも、その方がカウンターをチェックしたりって手間が省けて、その分コストが下がるから、そういう制度があるんじゃないですかね?

あと近郊路線やバス、地下鉄などの交通費! これも前にも書いたけど(「私はスイカと暮さない」)、パリやローマやマドリッドのように、一定区間を一律料金にしてくれたら、ず~っと簡単で、発券システムや改札システム、精算システム、その他モロモロのメンテナンスやコストが削減できて、その分運賃を安くできるんじゃないですかね?

…っていうような事で、どんぶり勘定のススメ、です。

(今思い出したのですが、これは「融通利かな過ぎ?」で、「このテーマ、もちっと掘り下げたいのですが…」と書いた、その「掘り下げ」に当るかも…でも、結局そんなに掘り下げられなかったかも…)

※緑字部分、修正しました。日本語にも「オマケ」って言葉があったのを思い出した…(・・ゞ
(2008年11月10日)

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by peque-es | 2008-11-08 20:16 | Japón,Japan,Nippon..
不言実行?
2008年 08月 09日
先日、≪日本標準、世界標準≫ではなく、≪Japón, Japan, Nippon≫というカテゴリーで書いた「アベコベ日本」
考えてみると、≪アベコベ日本≫というカテゴリーに変えちゃって、2カテゴリー統一したらいいんでは? という気がしてきたのだった。
更に考えてみると、いやそもそも最初の≪Japón, Japan, Nippon≫というカテゴリーに、ぜ~んぶ入るんでは? という気がしてきたのだった。

で、メデタク(?)カテゴリー統合致しました。≪日本標準、世界標準≫は、そのサブ・カテゴリー(?)として残してもいい気もするので、とりあえずタグに変えてみますデス。

で、今日のアベコベ。

スペインから帰って来た時、日本には喋る機械が多くて辟易した。

自動機のお喋りだけでなく、家電に付いてるアラームの類、誰も気にしてない駅のホームのベル等、日本での生活には、スペインにはないような音が溢れていたのだった。

例えば銀行のATM、駅の券売機、盲人用でもないのに、なんで喋らなあかんねん…
中でも分からないのは、「ただ今お手続きしております」っとか、「ただ今発券中です」っとか、うるさいだけで、全く余計なお世話だと思うんですが…

それとも、あれ言わないと、僅か数秒の間に、「おい? どうしたんだ? 手続きしてるのか? 切符出て来るのか?」って心配になるような日本人、結構居るんですかね??…(・・?

それから家電類のアラーム、あれもウルサイんですが…

電子レンジを使うと、あっため終わった時に鳴るアラーム。それはまあいいとして、その後取り出さないでいると、1分おきだかに「早く取り出せ」ってピイピイ言うのだヨ!

でマニュアル読んでアラームを消してしまったら、今度は「あっため終りました」とも言わなくなったのだった。で、それでは不便な事があったので、やむなくアラーム復活…

他にも、冷蔵庫がちゃんと閉まってなかったら知らせてくれる機能っとか…
お風呂が沸いたら知らせてくれる機能っとか…

日本の生活は、スペインでは全然聞こえなかった声や音に満ちております。そして、その殆どが電子音。

でもサ、例えば冷蔵庫をちゃんと閉めなかったら、次に開けようとした時に気が付く訳ですよ。
で、あ、しまった、電気代…って思って、気をつけるようになる訳。

電子レンジに入れたまま忘れてしまった食べ物だって、次に使う時に気が付く訳。でそれが1日前のおかずだったら、あ、しまった、食べるの忘れたって思う訳。

お風呂だって、沸いたのにすぐ入らなかったら、冷めてしまって勿体なかったと思うのは自分な訳。

…そう思いません?

お年寄りや体の不自由な方にとって必要な機能や「お知らせ」というのはあると思いますが、5体満足な若者や壮年がこういう機能に囲まれてると、自分で気をつける機能がオロソカになるんじゃあなかろ~か?

ちなみに、スペインから帰って間もない頃、食べ盛りの甥がうちでカップラーメンを食べようとした事があった。お湯を沸かし、それをカップに注いだ後、彼曰く、「タイマーは?」

オバに「タイマーないから、時計見なさい」と言われて、一瞬「え?」と驚愕したものの、メデタク壁時計で3分計って、カップラーメン作れました。

で、最近、例のエコバッグ・ブームで、スーパーのレジに「レジ袋ご不要の方は、これをお使い下さい」みたいな札が置かれてるところがあるのですが…それをカゴに入れて置くと、レジの人が「このお客はレジ袋不要」と判断してくれるという、ただそれだけの札。

…見てると結構使ってる人いるのよね…

…「袋要りません」って、ひとこと言う方が簡単だと思うんだけど…(・・?

…機械が喋って、人が喋らない日本??

…人と喋るの、面倒とか???

…不言実行って、そういう事ではないと思うんですが…(・・?
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by peque-es | 2008-08-09 12:08 | Japón,Japan,Nippon..
アベコベ日本
2008年 08月 03日
ペルシアナと遮光カーテンの記事にう~さんから頂いたコメントで思い出したんですが…

日本の玄関ドアって、開き方がアベコベなんだって、皆さん知ってました?

これは以前にも書いた事があるのですが、当時のジオログは文字数制限1000文字で、殆ど何も説明できなかったに等しい。

で何がアベコベかって言うと、スペインの玄関ドアは家の内側に開くのに、日本の玄関ドアは家の外側に開くのだヨ!

お客さんが来た時に、スペインだと「いらっしゃ~い!」って迎え入れる感じになるのに、日本だとお客さん、一歩下がって待ってる? (…その前に、自分が家に入る時も、一旦下がる訳ですが!)
でこっちはお客さんが入って来られる位ドアを開けようと思ったら、靴やつっかけなどを履いて土間に降りないといけない訳で…宅配便なんていうのが来た日にゃあ、更に複雑なオペレーションを要求される訳で…不便だな~…なんでやねん?? と思ってたんですが…

…ある時気づいた。
…日本は家の中では靴を脱ぐのが習慣。
…だから玄関は靴を脱ぐところ。
…なので玄関土間には普通靴が一杯置いてある。

…という事は、ドアを内側に開けると靴にぶつかっちゃうんですよね?

う~さんが仰ってた昔の日本の玄関。ガラガラ~っと横に開いて、そして中には広い土間。
これが日本の生活習慣には合ってたのよね?
昔は鍵も余りかかってなかったので、外から来る人はガラガラ~っと開けながら「こんちは~」っとか、その他色々、中に声をかける。で中の人は玄関に出てって、でも土間に下りたりせずとも話ができたのですね。

鍵をかける、かけないは別の問題なのでちょっと置いといて…
逆に言うと「玄関ドア」には、「靴を履いたまま家に入る」という生活が合ってた訳で、それならば、狭い土間に所狭しと靴が置かれ、ドアを開けると先ず目に飛び込んで来るのは、脱がれた靴が散乱(?)してる光景、というような状況も起こらない訳です。

余談ながら、日本に初めて来る外国人にとって、これはかなり異様な光景だと思う。

以前「和洋折衷の落とし穴」という記事で、日本人は「両方のいい所を取り入れる」と言いながら、実は「取り入れ易いところ」「都合のいいところ」だけを取り入れてるんじゃないか? その結果、どっちつかずの訳のわからない物やシステムが増えてるんじゃないか?というような事を書いた事がありますが、この玄関ドアの仕様も、言わば和洋折衷。洋式のドアにするなら全て洋式、「靴を履いたまま家の中に入る生活」と、その為に必要な他の生活習慣、道具や素材といった全てのものを輸入する代わりに、スペースを節約した玄関に外国のドアだけ持って来て、ドアを外開きにしちゃった…という感じがして来たのだった。

ついでに言うと、錠のしくみも全然違っていて、スペインのドアは閉めると自然にロックがかかる。そして鍵を回す方向、まるでアベコベです。なんで?

で、そういうネタを逐次取り上げるために、「日本標準、世界標準」っていうカテゴリー作ってたんだけど、記事が書けてないのよね…(・・;)

それを今日こうやって、別の枠(?)で書いてしまったのは、もひとつ別の「アベコベ」がある訳で…(・・ゞ

それは町内会で回って来る回覧板。その中に、「ペットを飼われてる方へ」というのが時々入るんですが…

…それに「犬のトイレは家で済ませてから散歩しましょう」っていうのがあるのだヨ!

これってやっぱ、どっかアベコベ…っじゃないスか? (・・?

別の町内会でも同じような回覧が回るらしく、それを読んだ知人(犬ではなく猫を飼っている)曰く、「犬って、トイレの為に散歩するんじゃなかったの?」…はぁ、私もそう思ってましたが…

糞の始末は確かに飼い主の責任でしょうが、だからって、犬に「トイレを済ませてから外出しましょうね~」って言うんですかね? (・・? (・・?

確かに、どうしても散歩に行けない時は、家でしてくれた方が、犬も飼い主も楽だとは思うけど…

昔の日本の犬は、外に繋がれてるか、或いは外で放し飼い。
余談ながら、昭和レトロの田舎では、ヨソの犬なのに毎日うちに朝ご飯を食べに来る犬なんてのがいた。
野良犬も多くて、5,6頭が群を作って野犬化して、危険だと問題になった事もあった。

当時飼ってた、どんな犬とでも遊ぼうとする犬を、今考えると、よく子供だけで散歩させたな~…と思う事もある。野良犬や放し飼いの犬と遭遇してしまった時には、どうしてたんだっけか?…(・・?

これは昭和30年代の話で、その後昭和40年代から飼った犬には、外国の犬ように(?)放して散歩できるようにしようと、我流で色々訓練(?)したものですが、今の日本じゃ、リードを付けずに散歩すると、法律違反になっちゃうそうで…

初めて行った頃のマドリッドでは、犬は放して散歩させてるのが普通だった。深夜の公園には、いつもその時間になると散歩してる大型犬たちが集まって、飼い主同士で話してる間、犬は犬同士、或いは勝手に遊んでたりとか…一度、そうやって夜散歩してる犬に、危ないところを助けられたエピソードは、長くなるので又いつか。

今のマドリッドは、当時より人も車も多くなって、大型の雑種犬を飼っていた友達は、うちの近所では犬を放して歩けなくなった、いつどんなトラブルに巻き込まれるか分からないからと嘆いていたものですが…

でも今でも、スペインの家は基本集合住宅で、犬もその中で飼われてるのが当たり前。ま、家に入るのに靴を脱がない訳だから、犬もそのまま入れる訳で…

(…だからって、スペインの家が日本より汚い訳では、決してありません。掃除は水拭き掃除が基本。一度じっくり記事にせねばと思っているスグレモノのモップもあって、掃除機だけでお茶を濁してる(?)最近の日本の家よりは、ずっと奇麗だと思う事も多い。ついでに言うと、土足でなくても家は汚れるのですよ。)

…で、家の中でも犬は、ごくふつう~に、つまりフリー!で、そこに居ます。
ちなみに友達の大型犬は、日本で言うと地上6階、60㎡位の小さめの家の中で、ごくふつ~に暮しておりました。散歩もできるところでは全てフリーで、友達が車を買う前は、タクシーに乗ってうちに遊びに来た事もあります。

そんなスペインに住んでた間に日本にはペット・ブームが到来したらしく、最近のペット用品、もんのすごく充実してるんですが…ペット・トイレだとか、室内ケージだとか、キャリー・バッグだとか洋服だとか…更には犬の靴だとか靴下?だとか…スペインでは(…そして昔の日本でも…)見た事もなかったようなグッズが一杯あって…ちょっと浦島太郎的気分なのだ。
そして犬自体も昔より小型化されてるような?…(・・?

もしかして、屋内でペットを飼う為に本当に必要な知識やしつけ、そして社会全体の理解や枠組みといったものを輸入(?)する代わりに、とりあえず今の日本の家と、社会の枠組みの中で、犬を飼える為のグッズが氾濫してるとか?…更には飼い易いように犬を改良(?)したりとか?…などと勘ぐってしまったのだった。

先日もちょっと書きましたが、ペット・ブームの陰で、信じられないような繁殖の仕方をしてるブリーダーがいたり、そして飼い主にいとも簡単に放棄されてしまう犬も後を絶たないらしい。
最近は、「大型犬を飼える」「ペットと共生できる」マンションなんてのも出て来たようですが、一般にはまだまだ、そこまで行ってないですよね?
ブームやビジネスが先行して、本当の「ペットと共生できる社会」には程遠い現状みたいで…

その他色々、なんだか人間も動物も、住みにくい世の中だな~…みたいな事、多々あり。
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by peque-es | 2008-08-03 14:09 | Japón,Japan,Nippon..
シャワートイレの便座の話
2008年 05月 25日
所謂シャワートイレの、シャワーではなくて便座の方の話です。

気温が上がって来たので、そろそろシャワートイレの便座のスィッチを切るか…と思ってる今日この頃…いや、便座の生ぬるい(?)のって気持ち悪いので、実は先日一旦切ったのですが、今年は例年よりも寒い日が多かったそうで、ちょっと気温が下がった日に、又スィッチ入れてしまったのですね。というのも、日本の便座は何故か、寒い時は異様に冷たくなる…

そもそもスペインには、シャワートイレなんてない訳で…
(あるメーカーのカタログで、日本のシャワートイレを導入したような製品、見た事あるけど、あれ実際に売れたんだろうか?)

初めてスペインに行った時は、当時日本の水洗トイレによく付いていた便座カバーのようなのがないので、ちょっと「へ~っ」と思ったような気もするけれど、慣れるとその方が快適なのだ。
…というか、今では逆に、便座カバーなんて、よくあんな不衛生なもん、やってたな~…という感じ。
だって、便座カバーのないトイレを掃除してみると分かるのですが、便座ってちょっとした事ですぐ汚れるのですよ(特に裏)。便座カバーにはそれが、見えない裡に全部染み込んでる訳で…

そこへ行くと、カバーのかかってない便座は、汚れていたら一目瞭然。その都度洗って奇麗にできる訳で…

それにスペインの便座は、冬でもそれ程冷たく感じない! のだ。

で、これは何故か? と考えてみると…

日本の便座は普通プラスチック?
でもスペインの便座は、普通、多分木製…(・・?
それが、どうやったらこんな風に色が揃うかと感心する位、陶製の便器と同じ色で塗装されている。かなりしっかりした塗装で、水や研磨剤入りのクレンザーなどを使っても、剥げて来ない。

…そして多分、プラスチックは木よりも熱伝導率が高い?…(・・?

夏は当然、便座のスィッチを切っておりますが、プラスチックの便座はそれでも生ぬるくなる。おまけに湿度の高い日本、ベタついて気持ち悪い。なのにちょっと気温が下がると異様に冷たくなる訳で…
昔はシャワートイレも、そして便座を温めるスィッチなんてのもなかった訳で…
だから便座カバーなどというものが広まったのだろうか? と思ったり…(・・?

プラスチックって一見手入れが楽なようで、でもその実掃除しにくいというか、掃除してもあんまりサッパリしないというか…
特にシャワーの回りはいつも濡れてるので、なんかすぐ黒かびみたいなのが付いて、しかも掃除しにくい…

そのシャワートイレが最近は随分高級化して、色んな機能が付いてるようなのですが…
そしてシャワー部分や便座の継ぎ目(?)が掃除しにくいという反省は既にあるらしく、色んな工夫もされてるようですが…
でも抗菌だとか、トイレ掃除が要らない(?)などと言っても、実際のところどんなものか…(・・?
それに所詮プラスチック…
プラスチックの便座が10万もする(もっと高いのもある?)なんて言ったら、スペイン人は目を丸くして笑うだろ~な~…
何故なら、スペインにもプラスチックの便座がない訳ではないけれど、それはいかにもペラペラの安物というイメージが強く、一般家庭では殆ど使われてないのです。

そういえば、「ホルムヘッドの謎」という本をリンボー先生という方が書いていて…

確か本の前半では、イギリスの道路や交通事情が日本とどう違うかというような事を、かなり延々と説明されていて…

このブログでも何度か、日本の道路交通事情は人にとっても車にとっても優しくない、という意味の記事を書いている(つもり)だけれど、
でもその度に、他の国の道路交通事情を知らない日本人に、それをどう分かって貰ったらいいのか、説明に散々苦労するので、
リンボー先生が時に図を交えながら、何とかそれを説明しようとしている気持ちが、非常によく分かる気がしたものです…

…が何故か、トイレ掃除をするたびに、この本を思い出してしまう。

というのも、本の最後の方で、先生、日本のシャワートイレについて触れていて、確か「あれは世界に誇る日本の製品」みたいな事を書いておられるのですね。

…リンボー先生、トイレの掃除は、あんまり、やった事ないな…
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by peque-es | 2008-05-25 17:04 | Japón,Japan,Nippon..
「知らない」事を知ってる事
2008年 03月 09日
新カテゴリー≪日本標準、世界標準≫の第二弾は「お釣り」の話になる予定、だったのですが、昨日(8日)の朝のテレビ(NHKの「課外授業 ようこそ先輩」)で、第一弾で言いたかった事と重なる部分のある事をやってたので、ちょっと寄り道(?)。

番組では、戸井十月さんという人が、母校(?)の小学校で、子供達にある課外授業をする。

先ず前置きとして、
世界には色んな国があって、色んな人がいるけれど、みんなお互いの事を知らない。そしてあちこちで戦争してたりするけれど、戦争というのは、相手の事を知らないから起こるのだ…

というような話をして、子供たちに外国の人と会って、話を聞いて、写真を撮って来る、という課題を与える。詳細は省きますが、子供たち、写真は撮れても中々話が聞けなかったり、色々試行錯誤しながら、グループ毎に課題をやってく訳です。

住民の3割が外国人だという新宿の大久保、そこにあるこの小学校では、クラスにも5人外国人の生徒がいる。そういう環境にいる子供達でも、事前アンケートでは、外国人に対して「どこかコワい」というイメージを抱いている生徒が多かったそうだ。

で番組のメッセージとしては、知らないという事が一番恐ろしく、恥ずべき事なのだという、「知る事の大切さ」のような事が語られておりましたが、≪ちょっとスペイン≫のメッセージとしては(笑)それにもう少し付け加えたいのですね。

何かを知る為には、自分が今「それを知らない」という事に気が付かなくてはいけない…という事です。で、「日本標準、世界標準」の第一弾で言いたかったのは、今の日本では、その自覚のようなものが薄れているのではないか? それって心理的な鎖国状態、みたいなものではないか? …というような事だったのだ…という事が、タイムリーな番組のお陰でまとまりました。

スペインの諺に、「自分が知らない事(は何か)を知ってる者が、本当に知ってる者」…El que sabe lo que no sabe, es el que verdaderamente sabe…っというのがある。

(これは≪スペイン語ひとくち知識≫のサブ・タイトル(?)にも使った諺で、その最初の記事「違いの分かる人の…」にも出て来ますが、内容は本題とは関係なく、スペイン語のちょっと専門的な話なので、そういうのに興味のある方だけ、お読み下さい。)

…そういえば日本にも、ありますね…「聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」…とか!…ちょっと違う?…けど似てる??

「知らない」ものは恐怖を与える事がある。
何かを「知らなかった」と知るのは、あんまり嬉しくない時がある。
「知らない」と知っていても、それを認めるのが嫌な事もある。
でも『「知らない」事を知った』時、人の心はひとつ大きくなり、そうやって少しづつ、「自分とは異質なもの」が「受け入れられる」ようになるんじゃなかろうか? などなど思う。
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by peque-es | 2008-03-09 13:13 | Japón,Japan,Nippon..
エレベーターの「閉」のボタン
2008年 03月 05日
「5年目の日本」で、エレベーターの「閉」のボタンについての「注」を追記していて、更に思い出した事があるので、別記事。

本題に入る前に、この記事に春巻さんと yokocan さんに頂いたコメントから、アメリカやトルコのエレベーターにも「閉のボタンがある」という事が分かった。戦後日本はアメリカをお手本にして来た(せざるを得なかった?)事、そしてトルコが「日本の明治維新をお手本にする」と、言ってたような気がする事、などを考え合わせると、非常に興味深いです。この際、他の国のエレベーターについても知りたいもんです。ヨーロッパ(…と言っても知ってる国は限られてますが…)にはなかったと思うけど、例えばニュージーランド、中国、インド、ケニア、メキシコ…なんて国のエレベーターには、「閉」のボタンがあるのかないのか?

これは少し前に思いついた「日本標準、世界標準」というカテゴリーの記事が書けそうになって来たので、新カテゴリー創設。
実は「日本標準、世界標準」の第一弾は、「お釣り」に対する考え方の違い、のような話を書くつもりだったのですが、それは第二弾(?)になる予定。
新カテゴリーの意味は、日本人が「標準」と思っている事でも、世界に出ると必ずしもそうではない、というような事になる予定。
更に、日本人が「これが日本の標準だ」と思っていても、必ずしも昔からそうではないのでは? というような事についても書く予定。
更に更に、日本人は「外国から来たものだから、これは『世界標準』だろう」と思っていると、全然違ってるんでは? というような事についても書く予定。

…全て、あくまでも予定…です。

さて、記憶がかなりオボロゲながら、上の追記を書いている内に、日本のエレベーターも昔は「閉」のボタンなんてなかったのでは?…というような気がし始めた。

地方都市に住んでいた子供の頃、市内にエレベーターというものがあったかどうか、覚えていない。たまに大都市のデパートなどに行っても、エレベーターのボタンを自分で押す機会はなかったし…エレベーター・ガール、っていうのが居たのよね…あれもやっぱり、スペインに住んでた間になくなった気がするな…

で昭和40年代の終り~50年代の前半位にかけては、職場があった東京のオフィス・ビル等で、自分で行き先階のボタンを押すエレベーターを経験してるのですが、それに「閉」のボタンが付いていたかどうか、記憶が定かでない。

なのに何故、「昔は閉のボタンがなかった」ような気がするか?というと、あれは日本特有のものだったという感覚があるから…なのだ。
多分20代の頃に、「こんなの、日本だけだよ、日本人、何でそんなにアクセクするのか!」というようなコメントを、新聞などで一度ならず目にした気がするのだ。
そしてそれは、それまでなかった「閉」のボタンが、その頃現れたからではなかったか??…と思うのだ。
 
これは多分、当時エレベーターがあった都会のビルで、既に十年位(?)仕事をしていたような、少し年上の人に聞いてみないと、分からない。

で、前の記事でも引用した昔の記事やコメントを読み返していて、そ~か、今の若い人(?)にとっては、エレベーターに「閉」のボタンが付いているのは当たり前で、それが日本だけかもしれないというような感覚はないのだ! と気がついたのですね。

スペインに行ってる間に日本のエレベーターは更に進化(?)したらしく、最近のは行き先階を押すとすぐドアが閉まるように出来てるみたいだ…という事に気づいてから、全員(?)が乗り終るまで行き先階を押さないで待つようにしていたら、ある時妹と一緒に外出した際、後から入って来た妹に、「こういう時は先ず行き先のボタンを押して、それから「開」のボタンを押して待っているもの」だと言われ、暫し愕然。そんな事、頭をよぎった事もなかったのですね。

前述の追記にも書いたように、スペインのエレベーターには「閉」のボタンなどないので、ある階に止まってドアが開いたら、一定時間経つと自動的に閉まるという仕組み。人が出入りするのはセンサーで感知しているので、誰も出入りしなくなって一定時間が経過したら、というような仕組みなのかも知れない。
その間に、ちょっと離れた所から駆けて来る人、カートなどを入れようとして、或いは子供連れや老人で遅れる人が居たら、中に居る人が「開」のボタンを押して待ってあげる、という事ですね。

余談ながら「閉」と「開」のボタンが並んでると、慌てて押そうとする時に手が彷徨ってしまい、開けてあげるつもりが閉めてしまった…という事も多い気がするのですが…

日本では当たり前の事が、世界に出ると必ずしもそうではないと言うと、そんな事、充分分かってると思うかも知れませんが、人間、自分が「当たり前」と思っている事には疑問が湧かないものなので、意外に気づいていない事も多い…自分自身、日本のエレベーターの正しい乗り方(?)が、日本に帰ってから4年以上も、頭をよぎった事さえなかった、という事実からも、それは明らかです。

全てを知る事は、所詮ひとりの人間には不可能。
でも自分の知っている事が「殆ど全て」だと思うのと、世界にはまだまだ自分の知らない事があると思うのでは、大きな違いがある。

だから「日本標準」と「世界標準」、どっちがいいか? という問題ではなく、世界には別の標準=違う価値観があると知る事が大事、と言いたいのです。

最近の日本では、「日本標準」は「世界標準」ではないという感覚が、昔より薄れているような気がする。
言い換えると、「日本標準」に対する疑問符が、昔より確実に少なくなっているという感じ。
これは日本が経済大国となったので、自信が増したという事か? と思いますが、イメージ的な「日本の良さ」みたいなものだけがやたら広まり、本当の日本の良さがどんどん消えて行ったり、少なくなったりしているにも係わらず、みんなしてそれを信じてる、みたいな感じ。

エレベーターの「閉」のボタンのように、20~30年くらい前には「これは日本だけ」、いわば「日本標準」だという自覚のようなものがあったのに、今の日本人は「それが世界標準」と何故か確信(?)してしまってるか、或いはそんな事は考えもしないという事が、色々ありそうな気がするのですね。

特に世界や他の国、他の文化への関心が少ない…というか、あっても、それはどうせ「海外の事」で、日本はこれでいいのだ…というような心理が働いているように見える事が、気になる。例え海外に出ても、「日本標準」を基準にして海外を見てるような…ってまあ、それは仕方のない事なのだけど、なんかモドカシイのよね。日本が鎖国から抜け出して100年以上、ひと昔前と比べても海外に行く人が格段に増えたにも係わらず、鎖国的メンタリティ…のようなものは昔のままか、時には昔より強い感じがするっていうのは…

日本は四方を海に囲まれた島国で、元々異文化に触れる機会が少ない。
大陸にある国々のように、国境をせめぎあって来た歴史もない。
これは「世界は色々」という事を体の芯で学ぶには、大きなハンディですね?

でも、世界には色んな標準があるという事を学ぼうとしない、又学ぶ機会が限られた社会は、非常に不安…

…それは所詮、鎖国社会と同じなのではないか? そして、「他の価値観」を知らない国民は、同じ国の中でも微妙に異なる価値観を受け入れにくく、無意識の内に、自分とは違う人間を排斥したり、抑圧したりしてしまうのでは? という気がするから…?

2008年8月9日: カテゴリー≪日本標準、世界標準≫は≪Japóm, Japan, Nippon≫に統一し、タグとしました。
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by peque-es | 2008-03-05 17:43 | Japón,Japan,Nippon..