さて、これから
2005年 11月 28日
(最初のブログ: ≪ちょっとスペイン…の玄関≫で書いた、最初の記事です。)

バレエをやっているお陰で若い友人がいる。
いや、向こうは「トモダチ」よりは「オバ」と思ってるかもしれないけど、こっちは「メイ」とか「オイ」って感じはしないので、この際「トモダチ」ということで統一させてもらうことにする。
で、その若い友人の一人がロンドンに行って、最近ブログを開設した。
で、数回お邪魔してみたら、結構ハマる。
で、自分のホームページの一部をこっちに引っ越してくることにした。
で、どういう風に引越すか、それはこれから考るのだけど、カレンダーの日付と合わない記事があったりしたら、恐らくホームページから引っ越してきたものと想像してください。

ホームページも思うようにアップデートできてないのですが、ブログの方が簡単で「向いている」記事もあると思うので、何とか続ける時間を作っていきたいと思います。

それから、言われる前に言っとくけど、アバターの髪は「白髪まじり」のアイテムがなかったのである。
そして顔は、これ以外に「歯を見せて笑っている」のがなかったのである。他はみんなオチョボ口で、笑ってても「ウフフ」という感じで・・・
でも約2年前にアバターを作った時にはあったこの顔も、既にないみたい。
この間、スカートとクツは一度履き替えたような気がするけど、他は何もしないで放ってあったので、今はない貴重なアイテムでできたアバターを、この際登場させることにしました。

あ、それから、これは「公開」ブログですので、私を知ってる方は「本名」で呼ばないように。
投稿は「本名」「偽名」を問わず大歓迎ですが、知ってる人が「偽名」を使う時は、「本名」が想像できるようなヒントを下さいね。おたのもうします。

作成者 amikajpn : Monday, November 28, 2005 18:45

[ コメント : 2]
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# by peque-es | 2005-11-28 18:45 | ≪はじめに≫の替りに幾つか…
1万人にひとりの素質
2005年 10月 31日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

ウィーンに住んでる友達からメールがあった。彼女はドイツ人のご主人と、家族ぐるみで日本から「移住」したのだけど、土地柄、ドイツ語のクラスには各国からの音楽留学生がいるらしい。中に韓国人の若い女性がいて、400万もするような金のフルートを持ち歩いているという! それに対してある人が「ヨーロッパ人なら、プロになって自分のお金を稼いで、それで買うような楽器だ」「最近のアジアの女の子たちは、親がお金を持ってるから、学生の身分でも持ってるのさ」と、はき捨てるように言った… とそのメールに書いてあった。

音楽に限らず「芸術」と呼ばれるものは、それで「食べていく」のは非常に厳しい世界だ。
マーケット、つまり受け皿の「絶対数」が少ない。

技術的なレベルがいくら高くても、表現力がいくらあっても、人がお金を出してでも「見たい」、「聴きたい」というものを提供するのでなければ「食べて」はいけないわけだけど、人がお金をだしてでも「見たい」「聴きたい」と思うものは、所詮そんなに多くないと思うのだ。衣食住にかけるお金の方が先だもんね。

逆に言うと、それで「食べて」はいなくても、一概にアマとかヘタとかは言えないことになる。

そこで問題。日本て、そういうアマとプロの境が、なんか非常に分かりにくい社会になってるような気がするのだ。日本人は「お稽古事」が大好きな国民だと思う。それはそれで非常に結構なことなんだけど、個人負担の「お稽古事」でプロになるのは、実は大変難しいと思うのだ。それがなんか曖昧になって来ている。

アマチュアがお稽古の成果を人に見てもらいたい。費用を負担して、発表会や展示会をする。自分でお金を出して見て(聴いて)いただくのだから、これはフツー。

プロは、人がお金を出してでも「見たい」「聴きたい」というものを、お金を取って見せたり聞かせたりする。これもフツー。

でも「お金を取る発表会」、つまりチケットや入場券を買っていただいて、自分が見せたい(聞かせたい)ものをやる、みたいなのは、あまり「フツー」じゃないような気がするんだけど…

例えばアマチュアとしてはいい線行ってるっていうような人と、プロなんだけど、或いはプロになりたいんだけど、未だそれでは食べていけないっていうような人が渾然一体となった、かなり巾の広い層があるような気がするんですね。

少し話が逸れるけど、ローザンヌというバレエのコンクールがある。このコンクールで入賞すれば、世界の一流レベルのバレエ学校で勉強し、世界的なバレエ団に入団する道が開ける。

昨年だかのコンクールで、世界的に著名なフランス人振り付け家(モーリス・ベジャール)が、ちょっと思わせぶりなコメントをしていた。出場者の出身国が昔とは違って来ている、それがいいとか悪いとかいうんじゃないけど、コンクールの性格も時と共に変わるということだ…。

予選通過者を見ると確かに、日本や韓国といったアジア系、そして東欧圏からの参加者が多くて、西欧人は数えるほど、バレエ発祥の地といわれるフランス、イタリアに至っては皆無に近かったんじゃないだろうか? 正確な数字は覚えてませんが。

これだけ見ると、「日本のバレエもレベルが上がった、ヨーロッパよりスゴイじゃないか!」って思いませんか? 

でもちょっと待って。勘違いしちゃいけないと思う。フランスやイタリアでバレエやってる若い人は、ローザンヌのコンクールで賞を取らなくても、一流のバレエ学校で学んで、一流のバレエ団に入る道が開けているのだ。経済が行き詰っている東欧諸国のように、逆に経済力はあるけど文化的な受け皿が少ない東洋諸国のように、なんとかこのコンクールで入賞して自分の国を出たい、世界的なバレエ団がいっぱいあるところで勉強するチャンスを掴みたい、などと思わなくてもいいんじゃないか、と思う。

もちろん優れた素質とたゆまぬ努力は要求されるだろう。でも「彼の地」には、国立のバレエ団が同じ国の中に複数あって、それぞれ本拠地となる立派な劇場があって、専属のバレエ学校があって、素質のある子供たちが各地から出てきて、恐らく奨学金を受けて勉強している。そして民間の教室で勉強している若者たちにも、自国・他国を問わず、様々なバレエ団のオーディションを受けるチャンスが、日本よりもずっと大きく開かれている。バレエ団の数が違うし、それになんせ、オトナリの国に電車でも行けちゃうんだからね、ヨーロッパって。

つまりね、ローザンヌのコンクールに出て来なくったって、あそこで入賞するくらいのレベルの若者たちが、バレエの本場にはゴロゴロいるってことなのです。

たとえて言うならばこういう事なのだ。
日本で世界一流のバレリーナになろうと思ったら、偶然素質があって、偶然バレエを始めて、偶然いい教室が近くにあって、偶然いい指導者たちに恵まれて、偶然いい家庭環境で海外留学したり、海外のコンクールでチャンスを掴めたりしなくてはならない。
日本で、例えば1万人に1人くらいの素質のある人が、各種の幸運に恵まれて初めて、更にその1万分の1、つまり100万人に1人くらいの人が、そういう道に辿りつく、ことができるとしたら、「彼の地」ではもしかしたら、100人に1人くらいの素質があれば、その素質を伸ばしていくことができるような社会のインフラが整っている、と思うのだ。
最後まで到達できるのは、その100人に1人の素質がある人の100人中1人、つまり1万人に1人だけだとしても、です。

1とか100とか1万とか100万っていうのはまあ、話を分かりやすくするためにキリのいい数字を選んだだけなんだけど…

「彼の地」で100人に1人の素質があった残り99人は、多分90人くらいは途中でプロの道を諦めるのかもしれない。そして最後の9人くらいがプロになって「1万人に1人」の才能と努力の持ち主を脇から支えるのかもしれない。でも日本では、この99人が、9と90にハッキリ分かれないで漂っているような気がするのだ。

でね。芸術のあり方、みたいなものを考えると、「彼の地」の方が正しいような気がするねん。

1万人に1人の素質がある子供は、親の負担に頼らなくとも、世界的な芸術家に育つことができるような、そんなあり方。それは同時に、1万人に1人の素質のある芸術家を、みんなが懐をあまり痛めずに見ることができる、そんなあり方でもある。

ちょっと飛躍するけど、そういう社会では、幾ら親にお金があっても、未だそれで「食べて」はいけない子供に金のフルートを買い与えるというような感覚は育たないような、そんな気もする。

親に金のフルートを買ってもらうのと、「見てもらいたい」ものを「見てもらう」のに「お金を貰う」のって、どっかでつながってるように思ったけど… こうしてみると、つながってないかしらん???

2005年10-11月
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# by peque-es | 2005-10-31 23:30 | Japón,Japan,Nippon..
Marmitako (マルミタコ)
2005年 10月 11日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合し、記事を持って来ました。記事の年月日はオオヨソです。)

↑のタイトル、料理の名前を訳すのサボったみたいに見えますが、これ多分、バスク語なんです…(つまり、スペイン語じゃないので訳せない…(・・;))
でもスペイン語の辞書を見ると marmita (ふたつき鍋、圧力釜、飯ごう…)なんてのがあるなあ…関係あるかしん?

スペイン語の料理の本には marmitaco と出てくるけど、ヤフー! スペインで検索すると、圧倒的に marmitako の方が多いみたい。

スペイン語では外来語以外には使われない "K" の字が、バスク語では使われるんだよね。
ちなみにスペイン人が日本語を聞くと、バスク語みたいに聞こえることもあるみたいです。

で肝心の料理は、かつお(まぐろを使うこともアリ)のぶつ切りをじゃがいもなどと煮込んだ、具沢山で食べでのあるスープ。
スペインじゃ「かつお」は夏場に多い。日本の関西じゃ「塩がつお=正月魚」とかけてお正月に食べるくらいだから、冬が旬なんじゃあないかと思うんだけど…海流の関係?

いずれにせよスペインのかつおは、魚屋さんに行くと、頭を切り落とした胴体がでっかいまま乗ってる。
それを用途に合わせて、2cmくらいの切り身にして、とか、500gぐらいをぶつ切りにして、とか注文すればいいわけなのだが…日本じゃお刺身かかつおのタタキになっちゃってるのが多いなあ…

とりあえず生食用のかたまりでやってみよ…

後に出て来るように、テキトーに作って、おまけに記事を書くまでにかなり時間がかかったら、細部を忘れてしまったので、以下、挿入写真は、別の機会に実験を繰り返した時のものです。

a0072316_16294264.jpg本場のマルミタコに入ってるのよりは少々繊細な感じのする大きさに切り分けて、塩をたっぷりまぶす。


スープになった時に塩味が抜けてしまうと思うので…マルミタコのかつおは、スープの中でもしっかり塩味がするのです。


a0072316_1631876.jpgそれに更に小麦粉をまぶしてフライパンで炒める。これもかつおの塩味がしっかり残るように、そしてスープにした時に身がくずれないように。

あとはじゃがいも、ピーマン、玉ねぎとにんにく(多分)、トマトなどを適当な大きさに切って、ピーマンや玉ねぎ、にんにく、トマトは炒めて、それに水を加えて煮立ったところで、じゃがいもを入れる。

a0072316_16314539.jpgじゃがいもが柔らかくなる頃に先に炒めた小麦粉まぶしのかつおの切り身を入れて、更に煮込む。塩味を調整して、例によってブイヨンとかパプリカとか、感じの出そうな香料や色素(?)を入れてみる。

…粒胡椒、入れたっけかな? クミンも入れたっけかな? 出たとこ勝負( sobre la marcha )でやってたら、時が経ったら忘れちゃいました。ごめんなさい。

a0072316_16331140.jpg例の色の悪い百科事典を見てみよう…
…にんにく、玉ねぎ、塩、胡椒…(ここまで合ってる)…
唐辛子(パプリカじゃないのか)…ローリエ(クミンでもない)…それにかつおのキレッパシや骨でスープを取ると書いてある。

でも日本のかつお、「生食用」だもんね。スープを取るもんが付いてない…とりあえずブイヨンで代用するしかない。
a0072316_16375829.jpg

…それからトマトは書いてあるけど、ピーマンは書いてない。
でもスペインのレストランで食べたマルミタコにはピーマンが入ってたこともあったよ。






a0072316_16395615.jpgとにかく結果は、中々おいしいマルミタコができたのである。

ところが、これは是非レピートせねば…と、別のスーパーで買った「かつおの生食用」でやってみたら×…かつおが生臭いのだ! 
生臭いスープっておいしくないよ…
何故? どうして? 生食用でしょっ!? 生で食べるんでしょっ!!? それがどうして新鮮じゃないのっ!!??

余談ながらマドリッドって、スペインで一番海から遠そうなところにありながら、国中の新鮮な
魚介類が食べられるので有名なんです。物流の関係?

んなこと言ってても仕方がない、ここは日本だ…「ハズレ」のないかつおのマルミタコを作るにはどうすればいいのか? 
ある時ある店でヒラメキました。「かつおのナマリを使うべし!」
要はその時その店で、かつおのナマリを売ってたからなんだけど。
獲れたてのかつおをナマリに加工したものなら、鮮度に問題はないはず。
それにこの方がマルミタコっぽいぶつ切りにできるし、生よりも身がくずれにくいし…ふんふん…

結果は○。よって日本でこの料理を試してみたい人、カツオの大きなカタマリ肉(?)が手に入らないときは、かつおのナマリを使うのも一案です。

つまりね、煮込むからっていって鮮度の落ちたカツオで作ったんじゃあ、おいしくない料理なんだってことです。
どんな料理にも言えることではあるけれど、スペイン料理は特に素材が命。素材良ければ全て良し…味付けはシンプル、かつ「出たとこ勝負」でダイジョブです!?
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# by peque-es | 2005-10-11 16:09 | スペインふう家庭料理
フランス語は数が数えられない?
2005年 07月 31日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

…と言って、石原都知事がフランス人たちから抗議を受けた。最後のクエスチョン・マークを付けずに半ば断定的に言っちゃったらしい。なんとまあ大胆な、というか無謀な、というか…
でも言ったんでしょ、多分…

12進法に比べて10進法の方が近代数学、というか算数に向いているのは確かかもしれない。
日本語の数の数え方は、日本人が算数、というか算術を比較的得意としたことに大きく関わっているということを、私も読んだことがある。それは非常に立派な面白い本で、石原都知事の発言よりもずっと深い知識に裏づけされていたと思うけど、その中でも12進法で数を数える言語が「数が数えられない」などとは、ひとことも言ってなかった。

今「日本人が算術を比較的得意とした」と過去形で書いたけど、これは意図的です。
簡便な計算器が普及している現代では、生身の人間の計算能力、特に暗算や筆算能力は、確実に衰えている。おまけに「ゆとり教育」だもんね。(≪少子化≫
ここ数年、世界の子供の学力テストでも、日本の子供は決して「数学や算数が得意」とはされてないはずだ。

フラッシュバックの≪お店の人≫の章でも書いたように、フランス語と同じラテン語系のスペイン語で計算するスペイン人たちも、結構暗算ができる。日本人と同じように九九も覚えている。スペイン語で九九を言うのはちょっとまどろっこしいけどね。
ゼロを発見したのは日本人ではなく、ガロアとかいう天才的数学者は確かフランス人だった…

おまけに現代数学は10進法だけではない。コンピューターは2進法? 最新の物理学や他の難しい学問では一体どんな計算方法を使っているのやら、見当もつかない。日本語の伝統的な数の数え方が、たまたまある種の計算方法に合っていたというだけで、日本語は「数が数えられる」けど「フランス語は数が数えられない」って言ったんだとしたら、あまりにも短絡的ではある。

要は石原都知事が「フランス語で数が計算ができるところまで」は、フランス語を勉強しなかった、というのが正しいのではないかと思います。数字や計算の概念というのは言語中枢とは別のところで処理されるのではないかと思うんだけど、「外国語で計算する」というのは、かなり難しい作業なのです。
で問題は、それをポロッと(?)公の場で(?)口に出しちゃったことでしょう。
自分が知らないものを知っているような、それほどやってないことをやったような錯覚は誰でも陥りやすいものではあるけれど… 日本では特に、ちょっと何かができたら、それでもう「すごくできる」みたいな錯覚が、広く蔓延してるような気がする。アマチュア大国ってことかもしれないけど…
石原都知事も「フランス語をやった」ことがあると、そう思ってたわけでしょう?

うちの近所の駅前にはかつて「○○PRAZA」と堂々と書いた雑居ビルがあった。PURAZA とでも書いてくれたのなら、まだしも「ローマ字」ということで通せなくもないんだけど。

そういう例は多分、収集して挙げ始めたらキリがなくなるでしょう。語学が苦手な人を非難しようとしているのではないのです。語学が苦手なら苦手でいい。苦手な外国語を「使う」前に「辞書を引く」という姿勢がないことを非難しているのです。「知らない」ことの自覚がないのが、嘆かわしいのです。何でもひとつのことを「知ってる」というには、ハンパじゃない道のりがあって当然なのに、その道のりの100分の1くらいのところでも「結構知ってる」ように思わせる社会が不安なのです。

ついでに言うとね。ネイチャー・コールは「おしっこ」のことではない! 
「自然の呼び声」だ!!
それが「おしっこ」を意味することもあるという英語のセンスを教える代わりに、「=おしっこ」という教え方で子供がバイリンガルに育つような、そんな「幻想的」なコマーシャルはやめて欲しいんだけど…

2005年7−9月
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# by peque-es | 2005-07-31 23:48 | その他、色々、なんとなく…
Chipirrones a la plancha (ヒイカの鉄板焼き)
2005年 07月 11日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合し、記事を持って来ました。記事の年月日はオオヨソです。)

前章「ホタルイカの天ぷら」を見ても分かる通り、アングロ・サクソンやゲルマン民族とは違ってスペイン人はイカ、タコの類を全然気にしないで食べる。イタリアもそうだけどラテン系の国、そしてもしかしたら、ノルウェーなど北欧の国でも食べるんじゃないかと思う。余談ながらスペインの南の地方には、バイキングの血が混じってると思われる髪や目の色をした人がいるもんね。

子供の頃、欧米じゃあイカやタコは食べないと言われた記憶があるけど、あれは欧米=アメリカ、イギリス、ドイツ…というような、その時代の狭い世界意識を反映していたのかも…

で、そのイカ、タコ類の食べ方ですが、タコはちょっと別の項にゆずることにして、イカを、スペイン人はどう食べるのか? 先ず、大きく4種類に分けることにしませう。

① Sepia(s) は日本でお刺身にするようなヤツ、もんごうイカ
② Calamar(es) は日本で焼きイカにするようなヤツ、やりイカ
③ Chopito(s) はチョピッと危険なホタルイカの天ぷら
④ Chipirron(es) は大きさにして②と③の間くらいの、日本では何というのか知らないヤツ…

…と思っていたら、ある日スーパーで見つけたのである。「ヒイカ」と書いてあった。これはいい、これで Chipirrones a la plancha (鉄板焼き)ができると思って勇んで買って帰った。
ソージは至ってカンタン。足を持って内臓を引き抜き、フネも引っ張り抜いて、あとは例のごとく、ニンニクとパセリ、塩で味付けして、(オリーブ)油をしいたフライパンで焼くだけ。
足も勿体ないから、切り取って一緒に焼こう。
目はちょっとコワイので、内蔵と一緒に捨ててしまおう。

そうやって出来たのですが、そしておいしかったのですが、ですがですが…… 焼いたらサイズが縮んでしまったヨ! Chipirrones ではなくって Chopitos くらいの大きさになってしまった。
スペインの野菜は日本より大きいけど、魚介類もそうなのか!?

その後、もう少し大きめの「ヒイカ」がスーパーに出ていた時に再度トライしてみましたが、焼きあがるとやっぱり小ぶり。でもイカを「ニンニク」で油炒めした味は、日本料理にはないオイシサですので、興味のある方は是非試してみてください。チョピートスのように調理に危険も伴わないので、オススメできます。

ところでこの「ヒイカ」は「ホタルイカ」と違って「生」で出ていた。ということは、大きさから言って
これを丸揚げにしてみたら Chopitos になるだろうか?
一番のポイントは、「生」に衣をつけて揚げれば、「ボイル」に粉をつけて揚げるより「油がハネ
ない」だろうか? ということだけど…やっぱりハネそうでコワイ。それに「ヒイカ」の内蔵と目って、丸揚げにする(そして食べる)にはちょっと抵抗のある大きさのような気がするんだけど…
焼いたらサイズが縮むということは、揚げても縮むはずなので、相対的に目も、あの目で見られてもコワクないくらいの大きさに縮むのでしょうか?????

尚①のモンゴウイカも、スペインじゃ「鉄板焼き」にして食べることが多い。②のヤリイカ(?)は輪切りにして天ぷらにする。a0072316_12374960.jpgこのイカのリングをバゲット状のパンに挟んだ bocadillo de calamares は安くて食べ応えのあるオヤツ、又は軽いランチ、又は夜食、その他もろもろとして、スペイン人なら誰でも「あそこのイカのボカディージョ、学生時代に良く食べたなあ」という、思い出の店を一軒は持っているような、そんなメニューです。

又有名なイカスミ、「イカの墨煮」によく使われるのは、今回鉄板焼きにしたのと同じ chipirrones 。その他色んな使い方があるけど書ききれないので、ここまで。
尚写真は「スペインのイカ3(イカとバゲット)」より。
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# by peque-es | 2005-07-11 15:44 | スペインふう家庭料理
Chopitos (ホタルイカの天ぷら)
2005年 06月 11日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合し、記事を持って来ました。記事の年月日はオオヨソです。)

チョピートスって、カタカナで書くとチョピッとヘンだね。スペイン語の chopitos を発音通りに
カナで書いただけなんだけど…
これは日本ではホタルイカと呼ばれるような小さいイカを、塩味で天ぷらにしただけの料理です。
実にシンプル。日本の天ぷらの起源はスペイン料理にあると言われているけど、実際スペインでは魚介類にころもを付けて油で揚げる料理法がかなり一般的だ。但し「天つゆ」はない。全て塩味。
アンダルシアが本場と言われる frituras (から揚げ料理)の中でも、このチョピートスはポピュラーで、普通のバールの Tapas (小皿に盛りつける分量を単位とするメニュー)や Raciones (普通の皿に盛りつける分量を単位とするメニュー)にもよく出てくる。大体どんな
ところで食べても大きな「ハズレ」がない料理でもある。

でね。日本のスーパーで「ホタルイカ ボイル 生食用」とあるのを見たとき、おんなじイカだ!
と思ったのである。少なくともサイズは同じ。それに「イカ」なんだから味も似てるでしょう。
スペインのチョピートスは「ボイル」ではなくて、生から「揚げる」んだと思うけど、日本じゃ生でそういうイカは売ってない。少なくともこの近所では…
ボイルでもいいんじゃないの? ソージしなくても良さそうだし…

と思ってやってみたんだけどね… 「ボイル」ということはうでてあるわけなので、塩味は既に少しついているだろう? それに濡れてるから、「ころも」をつけるよりも「粉」だけをつけて水気を取った方がいいのではないだろうか?? 「ボイル」の水分と混ざって丁度いい「ころも」になるやもしれぬし… というような思考回路で(要は手抜き?)塩をちょっとふって小麦粉にまぶす。そして熱い油に一匹づつ落として行く…

その結果は…イヤハヤ! イカはハジケルし、油はハネルし!! 非常にアブナイ!!! チョー危険!!!!
かなりコワイ実験です。普通の揚げ物でハネルような単位ではなく、大さじ1杯分以上もあるような量の油がカタマリでハネます。それが体にかからないで、どこもヤケドせずにすんだのは正に奇跡的!!

そんな訳で、この実験料理はオススメできません。「ボイル」だから火は通っていると、早々に「揚げる」のを切り上げて、半分粉がついて(半分は油と一緒にハジけて飛んだ?)揚がった「ホタルイカ」は、それなりにおいしゅうございましたが… 

ふむむ、スペイン人はこのイカの生をどうやって揚げるのかしらん? 生の方が「ボイル」よりも水分が少ないのだろうか? それとも粉、或いは粉を水や卵で溶いた天ぷらの「ころも」をたっぷりとつけて揚げれば、「ハネ」が防げるのだろうか? でも食べた時にそんなに「粉々しい」食感ではないし…

もう一度実験してみる勇気はないもんね。試してみたい人は、どうか「自己責任」でやって下さい。
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# by peque-es | 2005-06-11 15:40 | スペインふう家庭料理
スペイン時間、あばしり時間
2005年 06月 01日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

日本も夏至の頃になると、少し日が長く感じられる。日本って言っても関東地方の話ですが…

スペインの夏の午後は長い。夜の9時、10時頃まで暗くならない。
暑い日中を避けて夜になってから通りに繰り出す人たちは、夜中ごろまで散歩やお喋りを楽しみ、広場では10時を過ぎても子供たちが走り回っている。

これはスペインが、ああ見えて(?)日本の関東地方よりは少し緯度が高い(北海道くらい? 多分…)ということに加えて、サマータイムの適用で時間が太陽と1時間ずれており、更に年間を通して自然の太陽とは1時間の時差があるので、合計2時間、日の出と日の入りがずれているからなのだ。

加えてお昼は日本より遅くに、ゆっくりと食べる。それにつれて晩ご飯も遅くなる。
そうすると、同じ24時間なのに、何故か午前も午後も夜も、それぞれたっぷりあるような感じがしてくる。
ちなみにスペインで「午前中」というと午後2時ごろまで含まれる。オフィスのお昼休みは1時半ごろから、そして午後の仕事が本格的に始まるのは3時ごろか?
いえ、お昼休みから2時半に戻ってきても、お客は3時まで昼休みだったり、或いはお店などは2時半から4時半などという休み方をするもんで…会社勤めの人は、残業がなければ5時か6時頃に仕事を終り、でもお店や各種スクール等は8時、9時、時には10時ごろまでやっているので、それら『諸活動』を終えて家に帰り、或いはバーやレストランで軽い夕食を食べるまでの間が「午後」という感じになってくる。

夏の間は仕事を早く切り上げるところも多く、その場合は朝の出勤を早めて、短い休憩を挟んで午後2時~3時ごろまで続けて働き、仕事を終えてから遅い昼食を取ったりする。
 
そして晩ご飯を食べる頃からその後テレビを見たり、少しのんびりとして、就寝するまでが「夜」のイメージだ。勿論スペインで「生活」してる人は皆それなりに「時間に追われている」感じを持ってはいるのだけれど、どこか違う。

年間を通して1時間ずれているというのは、経度から見るとイギリスと同じ、つまりグリニッヂ標準時でいいところを、昔からヨーロッパ大陸、つまりフランスやドイツやイタリアと合わせるために、標準時を1時間ずらして来たという、政治的(?)配慮のせいなのだ。
スペインの中でもカナリヤ諸島は、さすがに合わせきれないという判断なのか、イベリア半島の標準時よりは1時間早い(遅いというべきか?)イギリスと同じ標準時を採用している。

つまりスペイン本土では年間を通して、太陽時(?)に比べて1時間遅く日の出・日の入りがあるのです。そこへサマータイムがあると、日の出・日の入りは2時間ずれていることになる。
夜の9時から10時ごろまで明るいといっても、それは実は「7時から8時ごろまで明るい」ということなのだ。ね? これなら、7時ごろまではなんとか明るい、日本の関東地方の夏至のころと比べて、そんなに不自然ではないでしょ? 残り30分から1時間の差は緯度の差と、そして関東地方は日本の標準時が置かれている明石よりは東に位置するので、その分日の出・日の入りが早くなるということで、納得できるでしょ?

ということはですね。もしかして日本も、北海道の網走くらいに標準時があったなら、もう少し長い午後を楽しめるかもしれない……?

スペインから帰国した年の冬、余りにも短い午後に気持ちが萎えた。4時を過ぎるともう暗くなってくる。何もしないうちに午後が終わってしまうような感じだった。翌年の夏は酷暑で、折角の陽射しの長さを楽しむことなどできなかった。夏至のずっと前から35度を超す日が続いて、夜になっても下がらない。おまけに夜道は暗くて、散歩を楽しめる歩道も広場も、そしてバーやレストランのテラスもない…

それに比べると今年は、5・6月ごろに、結構散歩を楽しめるような夕方があった。雨が降ってない時は、ってことですが……
でもそれも束の間で、夏至を過ぎると日はみるみるうちに短くなって行く。

網走を日本の標準時にしようっていう運動を起こしたら、誰か賛成してくれるかしらん…??

日本の皆さん! 朝、丁度起き出すころに日が出るのって、いいですよ。目が覚める2時間も前から明るくなるんじゃなくって。
ひと仕事してからゆっくりお昼を食べるのって、いいですよ。あっという間にお昼になってアタフタとかきこむんじゃなくって。
そして夏の間だけでも、明るい内にオフィスを出るのって、いいですよ。一年中真っ暗になった夜道を家に帰るんじゃなくって。
…きっと、1日が長くなったような気がすると思うんだけどな…

それにしても、原始時代の人間は日の出・日の入りと生活を共にしていたはずだのに、太陽時と2時間ずれてるスペインの夏時間の方が、人間の体に合ってるような気がするのは何故だろう。もしかして標準時の設定の方がおかしいのか? 
それとも現代社会の時間設定--会社や学校の始まる時間とか、電車の運行時間とか、テレビの放映プログラムとかが、どっかで太陽時、或いは人間の生理・生活とずれてしまったのか???

2005年6月

追記:ネットで「スペイン,ブログ」と入れて検索したら、こんな記事が! 若い人達が複数で書いてるブログのようですが、いやあ、楽しい! この記事と何となく相通じる(?)ものを感じたので、トラックバックっての、やってみました。(2006年4月1日)

2008年8月16日: 青字部分、加筆しました。

この記事に「昔の別荘」で頂いたコメント&お返事
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# by peque-es | 2005-06-01 23:52 | スペイン:人、物、言葉…
少子化
2005年 05月 01日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

電車の中の広告を見てると、大学や各種スクールのものがやたら目につく。
特に大学は少子化時代を反映して、「オープン・キャンパス」等々、あの手この手で、生徒集めに必死みたいだ。大学に入るために過酷な競争があって、柔軟な若者の頭がツマンナイ試験勉強の知識でいっぱいになるのは確かに困るんだけど…
でも、ちょっとねえ、何だかねえ……

若い人はそれなりに、諸所の悩みを抱えているんだろうけど、ポスト団塊の世代から見ると、今の世の中、その気になればそこそこの大学には行けるんじゃないかと思える。
イヤ、需要と供給の関係から大雑把に推し量ってるだけですが。
推薦入学とかも増えて、高校・大学まではみんな、何とかなるような社会になってるような、そんな気がするのですね。

でも問題はその後。企業や社会は学校のように「引く手あまた」では迎えてくれない。
不況の時代は尚更だ。競争に勝ち残れるかどうか、いわば企業の生死がかかってるんだから、当然ですね。

でね、「ゆとり教育」で育って、「あの手この手」で大学まで行った子供たちの将来はどうなるのか? 
生徒の誘致に必死になってる大学は、その4年間で、生徒が社会に出てやって行ける実力、それぞれの専門分野でプロとしてやって行ける、せめてそのタマゴくらいの能力は引き出してくれるのだろうか??

ということになると、かなり不安なものがあります。元々日本の大学って、過酷な受験戦争の時代にも、「入ったら後は何とかなる」「入りさえすれば大丈夫」みたいなところがあって、諸外国に比べるとその教育は、かなり「ゆるい」ような印象がある。
大学だけじゃない、小学校からずっと、日本は「落第」が殆どない社会なのだ。就職の壁やリストラに突き当たるまでは。(2005年3月26日:≪成果主義の壁≫)

就職しない、或いは就職できない若者の数は確実に増えてるみたいだ。彼らはなんのために学校に行ったのか? 学校って人を「社会に出す」ための教育機関じゃないの??
専門課程の名前など見ると、巨大な(そして多額の費用がかかる)「趣味のお教室」みたいなことになってるんじゃないかと、思えてくるのもある。

「ゆとり教育」で大学や専門学校まではまあまあ順調に行けた子供たちが、世界に出て行って、小学校から「落第」のある環境で育ってきた外国人たちと競争しなくてはいけないということを考えると、少なからず暗澹とするのですね。

そんな、別に、世界に出てかなくったっていいじゃないって?
いや、日本人がいくら日本にとどまったって、世界が日本にやって来るんだよ!
江戸時代のように鎖国して国を封鎖しない限りは、そして日本が「豊かな社会」だと思われてる限りは、外国人の方が日本にやって来る。現に昔に比べれば、日本で仕事をして生活している、そして日本語を喋れる外国人の数は、ずっと多い。 
今の子供たちは、日本に居ながらにして、外国人と競争しなくてはいけなくなる。外国人と仕事のポストを、商談を、そして成果を競わなくてはいけなくなる。

だからね、私はカラクチのイジワルオバサンになることにした。姪や甥は滅多なことじゃ「誉めて」あげない! そんなことが一体どれくらいの効果があるか分からない、ま、ささやかな努力ですが…

2005年5月
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# by peque-es | 2005-05-01 00:03 | Japón,Japan,Nippon..
成果主義の壁
2005年 03月 31日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

企業の成果主義が行き詰ってる…そうだ。これもテレビで言ってたんだけど。
行き詰ってる企業があるそうです。必ずしも意図した効果が得られなかった…てことでしょう。

仕事のできる人もできない人も、或いはヤル気のある人もない人も、得られる報酬にそれほどの差が出ない年功序列を抜け出して、企業の活性化を図って行こうとしたはずの成果主義が、何故行き詰るのか? 
成果主義がうまく行くかどうかは、結局、「成果」というものを如何に正しく評価できるかにかかっているように思うのだけど、多分、今までの日本人的思考では、個人の価値やその仕事の成果というものを計ることは不可能に近いのだ。

『イヤ、だからさぁ、欧米の成果主義を直輸入するのではなくて、
日本では、あくまでも「公正」で「客観的」な評価ができるように制度を考えてさ、
抽象的な概念ではなく数字で表せるものを基準にして、
直接の上司だけではなく、人事や中立の立場の評価も加えて、
個人の業績を「総合的に」判断できるようにぃ…』

チガウんだってば! 「公正」で「客観的」で「総合的」な判断なんかで、個人の能力は計れない。第三者を納得させられるようにと、数字で表せるような基準に頼ってちゃ、ダメなんだよ。だって、それでは、結局みんな「無難」な評価になっちゃうでしょうが!! 

約25年も前になりますが、スペインの語学学校に行った私は、それまでの日本の教育では受けたことのないタイプの授業を受けた。当時国立だったその学校の「スペイン語科」では、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、そして日本やフィリピンなど、世界のさまざまな国から来た生徒達に、スペイン式の「国語教育」を授けていた。
フランスやイタリアなどのラテン語諸国の生徒たちは、言葉が似ているだけでなく、教育制度も似ているのだろう、何かにつけて有利だった。たとえばディクテーションや口頭試問なんて、日本の国語の授業じゃあ、出て来ないもんね。
日本人の生徒は上級に進むにすれて数が少なくなった。

中でも印象に残っているのは、「散文のコメント」というマテリアルだ。
「散文のコメント」とは何をするのか? 課題として引用された散文のテキストを読んで、それについてコメントするんであります。
なんだ、感想文のことかって? 違います。マッタク違う! 
日本の国語の感想文てのは、選ばれた課題や、或いは自分の好きな本について、つれづれなるままに思うところを書いていけばいい、極めて主観的なもののような気がする。採点する方も、そういう「主観的」なものを真っ向切って否定するわけには行かないというか、まあとにかく何か書いて出せば、一応合格点がもらえる、というような…ね?

そのスペインの語学学校の「散文のコメント」では、出された課題を読んで、まず個々の場所にどんな特徴があるか、述べなくてはいけなかった。たとえば「この箇所には○○のテクニックが使われている」「この部分の表現は非常に××で、これは後期ナニナニ派の特徴である」…うんぬんかんぬん…
そしてそういう「客観的な根拠」を10くらいも並べたところで、「これは恐らく、何世紀のナントカ主義の文学の1節であろう」と結論づける。作者を特定できればしてもいいが、そこまでは要求されない。そーゆーことを、試験時間にすると3時間くらいでやる訓練をするのだ。

面白いのは、結論はそれほど重要ではない、ということだ。その時の先生の言葉を借りれば、「アーギュメントがしっかりしていて、それに基づいて結論が引き出されているなら、その結論が間違っていても構わない」、そして逆に「たまたま課題に出たものを知っていて、これは何世紀のなんという作品だ、或いは作者は誰だ、なんてのはダメ、いくら正解でも、理由づけがきちんとできてなければ点はあげないから」と。

で、その採点は勿論、先生がひとつひとつ読んで、主観的にするわけです。
10点満点で5点以上が合格、だったっけか…古い話なのでちょっと忘れました。
いずれにせよ、そういう採点をするのは、マルバツ式や答の決まっているものを採点するより、ずっと大変だろうと想像する。でも採点する。結果「不合格」になったら追試、或いは落第。
とにかく書いて出せば単位がもらえる…というようなものとは随分違う。それだけの責任を当然のこととして引き受けて、課題ひとつひとつに点をつける。時には外国人生徒が採点に文句を付ける。日本人からみると屁理屈に思えるようなことを、延々と述べて食い下がる。でも先生も一歩も引かない。
「ノー! あなたのコメントは、かくかくしかじか、こういう理由で、付けた点以上は上げられない」

話が逸れたみたいだけど、私の頭の中ではしっかりつながってるのです。そういう「客観的」な評価を「主観的」に下して、しかもそれに対する責任を引き受けるという姿勢を、「評価する側」が貫けないなら、個人の評価なんてできないのだ。

それにしてもねえ、先生もそうだけど、諸外国の生徒たちは逞しかった! 勿論個人差はありますが、ラテン語系の国だけじゃなくって、他のヨーロッパ諸国やアフリカ、そして中近東の生徒たちも、外国語であるスペイン語で先生に食い下がって行く…
尚「韻文のコメント」ってのもありましたが、それについては又別の折にでも。

2005年3月

この記事に「昔の別荘」で頂いたコメント&お返事
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# by peque-es | 2005-03-31 23:56 | Japón,Japan,Nippon..
ガンバルゾ! の缶詰? (Cocido madrileño)
2005年 03月 09日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合し、記事を持って来ました。記事の年月日はオオヨソです。)

マドリッドの煮込み、という意味のコシード・マドリレーニョ (cocido madrileño)。
冬のマドリッドを代表する家庭料理だけど、煮込む材料はそれほど上等じゃない生ハムのブロック、煮込み用のチョリソ、モルシージャと呼ばれる血の腸詰・・・
日本じゃ手に入らへんもんばっか・・・と最初から諦めて放棄していた実験なのですが・・・
寒くなるにつれ懐かしくなって来た・・・ダメ元でやってみよう。

a0072316_17525797.jpg用意するのは先ず、ガルバンソ (garbanzo) という豆の缶詰。
これは輸入品です。最近は結構色んなところで売ってます。日本語では「ひよこ豆」というらしい。
牛肉のかたまり。骨付きの鶏肉…ほんとは gallina、つまり歳とって卵を産まなくなった(?)
「雌鳥」のカタイ肉を使って、それが柔らかくなるまで煮込むのが正攻法なんだけど、本場スペインでも普通の鶏肉で代用する人もいるので…ま、いいか、ウィングスティックとか手羽肉を使えば…。
肉の脂身はカタマリで売ってないし、どうせ食べる時には「好きじゃない」ので、味だけ出るように
ステーキ肉に付いて来た「牛脂」を入れてみよう。それから野菜はじゃがいも、玉ねぎ、人参、キャベツ。
マドリッドのレストランでは、時々、おでんの中に入ってるような「練り物」を入れたコシードに出会った。
正統派コシードには入ってるものらしい。材料は知りません。まさか白身の魚は入ってないと思う。

先ず牛肉のかたまりにたっぷり塩をすりこんで炒める。玉ねぎは出来上がったコシードに形が
あるのは見たことないけど、たぶん味付けに入っていて溶けてるんじゃないかと思うので、みじん切りにしてちょっとだけ入れてみる。肉の表面が焼けたら水を入れて、あとはひたすらグツグツと煮る。
水は少なめに、塩味を濃い目にして、肉に味がしみこむように心がける。
肉が柔らかくなってきたら、鶏肉を同じように塩で炒めてから入れ、又グツグツと煮る。
もう玉ねぎの形は見えません。

2種類の肉が充分柔らかくなったところで、大きめに切った野菜類を、固い順に入れて行く。
正統派のコシードは乾燥した豆を使うので、それは前の晩から水に浸しておいたのを、かなり
早いタイミングで入れるのだと思うけど、缶詰の「ひよこ豆」は既に煮えているので、柔らかくなり
過ぎないように最後に入れる。

これだけです。要はいかに辛抱強く、時間をかけて、固い肉が柔らかくなるまで煮るか、という
料理です。しかも玉ねぎ以外の野菜は形が残ってなくてはいけない。
そしてそれらの材料に、いかにそれぞれ丁度いい味がしみこんでいるか、これは忍耐とタイミングの料理だな、作ってみると… 肉の柔らかさや味のしみこみカゲンはどれ位がいいのか、残念ながら文にすることはかなり難しい。
こーゆー、時間をかけて煮込んで柔らかくした肉料理ってのは、日本には伝統がないので、一度食べてみるまではそのおいしさが伝わらないのだ。強いて言えば、最低でも3時間、骨付き鶏肉の骨が、カンタンにスプーンで捌けるくらいに柔らかくなってれば、合格です。
昔より忙しくなったスペインでは、煮る時間を短縮するために「圧力ナベ」を使う家庭も結構あるようだ。

生ハム・ブロックや煮物用チョリソ、モルシージャなど、味と風味の出るものがないので、コショウやパプリカ、そして固形スープをちょっとだけ使ったけど、それらの材料がなくても「時間をかけてていねいに」煮れば、それだけのおいしさが出ることが分かった。

a0072316_17541981.jpg最後に、このコシードの食べ方は…

…材料に味がしみこんだところで具を取り出し、残った味の濃いスープに水を入れて薄め、塩味を調整する。
それにスープ用の細かいパスタを入れて、つまり色んな材料のダシがたっぷり取れた煮汁をパスタ・スープにして、それを前菜として食べ、次にメイン・ディッシュとして、中味を盛り付けて出すのである。(↓)


a0072316_175619100.jpgひよこ豆がお皿の半分以上、肉類はそれぞれヒトカケづつを目安に、野菜類もひとかたまりづつ盛り分ける。「私、アブラミ、要らない」「キャベツ、もっとちょうだい」などと注文すれば、レストランでも応じてくれる。

実験の結果に気をよくして、又「ひよこ豆」の缶詰を買いに行った。スーパーのレジで、買った品物がスキャナーにかけられるのを、見張るともなく見張っていると(?)、モニターに「ガンバルゾ」という品名が浮かんで消えた。え? ナニ? そんな名前のもの、なんか買ったっけ??
 
キャッシャーの女の子の手元を見ると、今しも「ひよこ豆」の缶詰がスキャンされて、こちらのカゴに入るところでした。なんだ、そうか、「ガルバンソ」を見間違えたのか…??
でも清算が終わってレシートを見ると、そこにはしっかり「ガンバルゾ」と打ってあった。
garbanzo beans という聞きなれない横文字の品名を見て「がんばるぞ」と入力してしまったスーパーの社員(?)に、妙な親近感が湧いてきた。きっと「がんばるぞ」って自分に言い聞かせながら仕事してたに違いない? これからは私も、ひよこ豆やガルバンソじゃなくって、ガンバルゾって名前で呼ぼう。スペイン人にも広めてやるぞ!!?

尚、年末のスーパーで「ベーコン・ブロック」を見つけ、生ハム・ブロックの代わりに入れてみましたが、これはバツです。日本の普通のハム類は「妙に甘い」味が付いており、雰囲気がコワレます。
日本のハム・メーカーの皆さん、反省してください。お願いします。
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# by peque-es | 2005-03-09 17:39 | スペインふう家庭料理
モノづくり日本の復活
2005年 02月 01日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

・・・って言ったのだ、テレビで。大手の製造企業が2社、ある分野で合意して、その発表で「モノづくり日本の復活をめざして」ウンヌン、カンヌン、・・・。
そーだったのか! 「復活」ってことは衰えてたってことか ・・・日本のモノづくりは、やっぱり私がスペインに居た間に衰退してたんだ!?

スペイン市場に「アケルノカンタン」というキャッチフレーズで最初に出て来た商品は何だっただろうか? ミルクのカートン・パック? それともロース・ハムのパック?
もう忘れてしまったけど、当初それらの商品は「アケルノカンタン」って、どこが簡単なの? と笑い出したくなるくらい、開けるのが大変だった。指先に渾身の力(?)をこめないと開かなかったのです。今まで通りハサミで切る方がずっと早いや・・・と思うくらい。

私はスペイン人に言った。「あのアケルノカンタンってやつさ、全然カンタンじゃないよ。あなたたちは、まだ「ほんとに簡単に開く」商品を知らないから、あれでも「簡単になった」と思うけど、日本にはああいうパッケージ商品がずっと前からあって、もっと、ずーっと、ほーんとにカンタンに開くんだから」・・・
私は日本の製造業のQC活動、つまり品管運動などの説明を知ったかぶりにして、日本の会社は現場で実際にモノを作ってる人たちの意見を吸い上げるだの、工場で働いている人たちが、どうやったら自分達の作ってるものがより良くなるか、そういうことを考えながら仕事をするためのモティベーションができるような態勢になっているだの、だから彼らは本当に細かいことでもアイデアを出して、「アケルノカンタン」っていったら本当に簡単なものができるんだ、スペインみたいにネクタイしめてデスクに座ってる管理職が頭で考え出したアイデアとは違うんだ・・・
とゆーよーな説明を致しましたです。今考えると、なんかかなりこじつけみたいで、おまけに日本の企業のこともスペインの企業のことも深くは知らないで、よくまあそんな知った風なことを・・・と顔が赤らみますが。

それが15年前くらいだとすると、それから更に5年ぐらいたって、スペインにはアケルノカンタンなパッケージ製品が色んな種類にひろまって、中には本当に簡単にあくような商品も出て来た頃、私は日本食品店から買って来た日本製のラーメンを作っていて、そのつゆのパックを開けようとして手間取った。切れ目の入っているところから簡単に破れるはずのそれが中々破れなかったのだ。
その時は、あれ? 不良品かな? と思ったけど、それから時々そういう製品に当たるようになり、時にははさみを使った。ラーメンのつゆのパックだけでなく、他の商品でもそういうのに、チラホラと当たるようになった。

で大げさな私としては又、「ウーン、日本の品管がおかしくなって来のか??」などと思ったりしたんだけど・・・

そうなのですか? やっぱり日本の品管って、衰退してたのですか? 
それともこれって、全然トンチンカンなコジツケ理論? 
なんせずっと日本を留守にしてたもんで、どなたか教えて下さい、マシ。

2005年2月
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# by peque-es | 2005-02-01 23:58 | Japón,Japan,Nippon..
ころんだことがない?
2005年 02月 01日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

最近の子供は転ぶ時に手を出すことを知らない・・・という話を聞いた。
普通なら自然に手が出て、顔などが地面にぶつかって怪我しないように支えるはずが、そうしないで、ただ(?)ころんで、顔に怪我してしまったりする・・・そうです。

ウーン、と思った。色んな理由がはあるんだろうけど、要はころんだ経験が少ないのでころび方を知らないのではないかしらん??? 
「ころび方」ってのは、頭では学習できないもんね。

もしかしたら日本の親は、子供がころばないように気をつけ過ぎるのではないか? 
危ないところを歩かせない、目につく限りの「けっつまづきそうなもの」は子供の行く道から取り除いてやる・・・ 

何故こういう話をするかというと、日本人が一般に、「ころぶことを恐れる」傾向が強いような気がするからだ。そしてそれは社会がころぶこと、つまり「人生における失敗」に対して、寛容ではないからじゃないかって、そんな感じがするのです。 

たとえば日本のドライバーの運転、というか駐車を見てると、一般に皆さん、回りの車にぶつけないように、すごく早めに切り返しますね。「まだ1mも空いてるのに大袈裟な」ってところで、心配そうに切り返す・・・多分日本じゃ、ちょっとコスっただけで大騒ぎになるんだなと思って、私もスペインにいた頃よりは早めに切り返すようにしてます。

でも「どこまでならぶつからない」かを会得するには、「どこまで行ったらぶつかる」かを知らなくてはいけない・・・つまり何回かぶつかってみて初めて、そのカゲンが分かるということなのだ。

路上駐車が一般的なスペインでは、駐車時、或いは発車時に前後の車に当てないでは出られないこともままある。みんな器用に、ちょっとづつ当てながら、そしてちょっとづつ切り返して、出たり入ったりする。低速でちょっと当てる程度なら普通は大した疵もつかない。

そういうお国柄だから、車をぶつけることに対しては日本より寛容なようだ。諦めてるのかもしれないけど・・・。
で新米ドライバーは、あっちでコツン、こっちでゴツンとやってる内に、自分の車は前後左右どのくらいでぶつかるかという距離が測れるようになり、当たっても疵にならない程度のスピードを会得し、そして自分の腕では「駐車しようとしてはいけない」スペースというのも区別できるようになるのだ。

そういう「学習の機会」を与えられていない日本の新米ドライバーは、いつまで経っても1mあけて切り返す・・・
 
で「ウーン」とうなったのは実はこっからで、人は失敗することによって学習する、つまり失敗できない、失敗しにくい社会というのは、その構成員がを学習する機会を奪ってるわけで・・・

ということは、日本人はだんだんバカになるしかないのか?? それに、失敗させてくれない親に反抗する子供がいるように、安全すなわち過保護な社会に飽き足らない日本人が当然いるはずで、失敗する気概のある(?)人たちは海外に出て行く・・・ということは人材の海外流出? 

なんか、日本の将来がスゴク悲観的に思えてきたけど・・・

2005年2月
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# by peque-es | 2005-02-01 00:06 | Japón,Japan,Nippon..
ヘンだよ
2005年 02月 01日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

やっぱりおかしいよ、今の日本ってヘンな事件が多すぎるよ!
わけのわからない殺人事件だの、放火事件だの・・・
児童相談所が「虐待」を知ってて子供が殺されるのを防げなかったり、子供が子供を殺したり、人のいっぱいいる電車の中で刃物を使う武装スリ集団がいたり、スーパーや、そして学校でいきなり人が殺されたり・・・

日本の安全神話が崩れて来たとか、日本も安全でなくなったとか、言う人がいるけど、それもちょっとおかしい。スペインは日本より安全ではなかったかもしれないけど、こんなヘンな事件が連日のように起こるってことはなかったゾ!
人通りの少ない夜道で襲われることはあったかもしれないけど、白昼、そして回りに人がいっぱいいる電車やスーパーで、命を脅かされる心配なんて・・・しなくて良かったゾ!!

スペインが日本より安全ではなかったというのは、スリやひったくり、ちょっとした詐欺とかが、多分日本よりはずっと多かったのだ。統計は知りませんが・・・
ETAのテロもあったけど・・・そしてもしかしたら、普通の強盗事件や殺人事件、或いは交通事故なども日本より多いのかもしれないけど・・・けどけど、
「普通のですよ!! ふ・つ・う!!!」

オノボリさんやお金を持ってそうな旅行者がスリに狙われるのは「ふつう」だ。
だけどそこに住んでて毎日その電車に乗ってる人が、白昼、回りに人がいっぱいいるその車中で、刃物を持ったスリ・グループに囲まれて脅されるってのは「ふつうじゃない」んじゃないの?

人通りの少ない夜道で、一人でATMに行ってお金を引き出してはいけない。これは、スペインでは常識だ。
銀行が強盗に狙われるのは、これ又「アタリマエ」だ。銀行にはお金があり、犯人はお金を目的としているのだから。日本のように自動ドアで、「入って下さい」といわんばかりの態勢で待ってる方がおかしいのだ。

日本の道路よりスピードの出せる道路で、日本より凄惨な交通事故が多かったとしても、それも「ふつう」だ。

けど、けど、スーパーの前に立ってる時に、回りに突然刃物を取り出して自分や子供を襲う人間がいるかもしれないと考えたり、学校に先生を訪ねて来た人間が、もしかしたらその先生を恨んで殺すつもりで来たのかもしれない、はては自分が代わりに殺されるかもしれないと疑わなくてはいけないとしたら、これは明らかに「ふつうじゃない」と思いませんか? 

数年前にマドリッドの病院で、事件後精神分裂症と分かった医師が、病院の職員や入院患者にいきなり切りつけて数人を死傷させた事件は、随分異常な感じがした。
けど、日本じゃ同じくらい、又はもっと異常な感じのする事件が、次から次へと起こって、覚えてられないくらいだ。

その「異常な感じ」というのは、事件の動機が「ふつう」の人の想像を超えてるからだ。日本の「ヘンな事件」の犯人たちは一体を何をどう考えてそんな行動に至ったのか、その動機を、いくらニュースで聞いてもピンと来ない。
自分の気持ちをきちんと伝えることができなかったり、些細なことですぐキレル日本人が多くなったというけど、何故??

日本社会は平等っていうけど、実は「悪平等」だったんじゃないのか?
安全ではなくて「お節介で過保護」だっただけじゃないのか?
自由ではなく「無関心」、或いは無責任に「放任」してただけじゃないのか?
「集団の力」に優れ、それに頼って発展して来たというのは、実は「卓越した個人」を育てることができなかった…からじゃないのか?

そしてそういう「スリチガエ」が、長い年月、日本の社会を歪めてしまった、のじゃないのか?

飛躍しすぎ???????

2005年2月

この記事に「昔の別荘」で頂いたコメント&お返事
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# by peque-es | 2005-02-01 00:00 | Japón,Japan,Nippon..
日本のマンションの七フシギ、又は七つの大罪
2004年 12月 31日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

日本に帰って来てから、築10年の中古マンションを買った。
バブルが崩壊したとはいえ、日本のマンションは何故こんなに値下がりしたんでせう? 
まあでも、「だから買えた」んだけどね。
スペインでは築何十年の物件でも、立地条件その他によっては値段が下がらない、場合によっては上がることだってあるっていうのに、日本のマンションは税法上から見ても、25年以上のものは投資価値があると見做されない、つまり25年たったらその価値が償却されてしまうということだ… ということはこのマンションも、あと15年で「タダ」?

住んでみたら、その理由が分かったような気がした。日本のマンションは、25年も経ったら価値がなくなってしまうような作り、なのだ。構造も素材も。ということは…新築発売時の値段はなんだ! どう高く見積もってもそれだけの価値がないモノを売ってるんじゃないの?
・・・これって「罪」じゃありませんか?

以下、題して「日本のマンションの七フシギ」または「七つの大罪」。

以下、題して「日本のマンションの七フシギ」または「七つの大罪」。
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# by peque-es | 2004-12-31 23:21 | Japón,Japan,Nippon..
分からない
2004年 11月 01日
(ホームページの「ひとりごと」から、持って来ました。コメントは約1年後、最初のブログ: ≪ちょっとスペインの玄関≫に転載した時に頂いたものです。ホームページでは作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負です…)

分からない。
何故、いつまでたっても日本の道路から、溝や電信柱が消えないのか、
点字のメニューがないATMや電車の発券機が何故「しゃべる」のか、
マンションの玄関に何故ひと晩中灯りが点いているのか、
スーパーのレジでは何故いちいち袋の口をテープでとめるのか、
何故鶏肉よりも鶏の唐揚げの方が安いのか、
”先進国”で一番混んでるように思える東京の電車や地下鉄が、何故こんなに高いのか、
車1台しか通れない道路が何故双方向通行なのか、そして道路が狭いのに何故大型車が多いのか、
主食のお米が何故「米が主食でない」国の何倍も高いのか、
日本の鍵は何故閉まる方に回すと開いて、開ける方に回すと閉まるのか、
関東と関西の周波数は何故30年経っても違ったままなのか、
テレビ番組は、何故「健聴者」に「一部」だけを「字幕」で見せるのか、
大人向け(?)の天気予報が、何故アニメ仕立てなのか?
何万円もする高級便座が、何故「プラスチック」製なのか
何故、病院でも工場でもオフィスでもない、普通の家に蛍光灯が付いているのか、
・・・・・・・・・・・・・・・
日本には分からないことがいっぱいある。
でも一番分からないのは、
あと2・3秒で閉まるドアを閉めるために、
エレベーターの反対側からワザワザやって来て、
だまったまま私の目の前に指を突き出して「閉」のボタンを押す日本人だ。

2004年11月

作成者 amikajpn : Wednesday, November 30, 2005 00:48

[ コメント : 2]
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# by peque-es | 2004-11-01 00:10 | Japón,Japan,Nippon..
¿Chorizo seco? (ドライ・チョリソ?)
2004年 09月 07日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合し、記事を持って来ました。記事の年月日はオオヨソです。)

a0072316_17192427.jpgドライ・チョリソというのを見つけた。カナダ産・・・カナダでどういうチョリソの食べ方をするのか知らないけど、もしかしたら煮物に使えるかもしれない・・・そう、スペインでは煮物用、揚げ物用、焼き物用、そしてそのまま食べる生食用(?)と、色んな種類のチョリソがある。
最近では日本でも、生ハムだのチョリソだのって名前の付いた製品が出てきましたが、本物にはほど遠い、というか似ても似つかぬようなのもあります。
でも長くなるので「生ハムの定義」については又別の項で。

で国産品で賄えないとなると輸入品に頼るしかないけど、煮物用の安いチョリソなんて、先ず輸入されないよね・・・使い方も知られてないわけだし・・・

スペインではこのチョリソを入れて、豆類をグツグツ煮込んだような家庭料理が多く、定食にもよく出てくるけど、日本じゃそもそも、マメを塩味で食べる習慣がないもんね・・・。

豆を煮込むというのは結構時間がかかり、乾物の豆から煮るとなると前の晩から水につけておかなくてはいけない。だからスペインでは、もっぱら外食に頼ってた豆料理・・・というか煮込み料理一般。
スペインに居た頃は、スペイン料理って何でもかんでも、ようまあグツグツ煮こむなあ、などと思っていたけど、そうやって時間をかけて煮込んだものには、そうしないと出ない味があるのですね。日本に帰って一年、スペイン料理の何が懐かしいかっていったら、上等の生ハムや高級レストランのパエージャなどよりも、街の定食屋で日常的に食べていた「スペイン版おふくろの味」だったのです。でもそれを日本で出してくれるところなんてない・・・ウーン、作るっきゃないか? 

ということで始めた実験。でも豆とかは水煮の缶詰や瓶詰めが出てるからいいけど、味はどうやって出す? と思ってたところなのだ。カナダ産のドライ・チョリソで煮物のだしがとれるかどうか知らないけど、これはやってみるしかないではないですか?

白インゲンの缶詰にジャガイモ、そしてドライ・チョリソを切り入れて、実験開始。
あ、チョリソの量は少しです。元々スープ皿いっぱいの豆、或いは煮物に対して、1cmくらいに切ったチョリソが一人当て1ヶか2ヶくらいしか入ってないものなのです。それだけで味が出るくらい「濃い」味をしたものなのです、チョリソてのは。

それにこのカナダのチョリソ、ピリカラ味って書いてあるもんね。先ずは缶詰1個とジャガイモ1ヶに対して1cm×5切れで実験開始。あとは何を入れてみようか・・・
ん? パプリカ? これは良いかもしれない・・・人工調味料はあんまり使わないスペイン料理だけど、カナダ産のドライ・チョリソだけではちょっと心もとないから、やっぱりブイヨン1個入れようか・・・この際トマト・ピューレもチョットだけ・・・と、その場しのぎで実験を進めた結果、
a0072316_17202098.jpgスペインはガリシア地方のポテ・ガジェーゴ (pote gallego) とまではいかないけど、まあちょっと似た感じがしないでもない、結構食べられるものができたよ。又ほかのものにも使ってみよう。

え? ポテ・ガジェーゴってどんなんだって?

それは、今回使ったのの倍くらいある大きな白い豆を lacón と呼ばれる塩漬け肉、つまりハムの一種やジャガイモ、そして grelo と呼ばれる、固くて大きな青菜のたぐいと一緒に煮込んだ、具だくさんのスープッす。
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# by peque-es | 2004-09-07 17:10 | スペインふう家庭料理
Tortilla española (スパニッシュ・オムレツ)
2004年 08月 07日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合し、記事を持って来ました。記事の年月日はオオヨソです。)

Tortilla española: 又は tortilla de patatasと呼ばれるスパニッシュ・オムレツ。
その名(patatas)の通り、中味はジャガイモだ。ポイントはそれを炒めるのではなく「油で煮る」感じで揚げること。
ちなみにこのレシピは、日本に帰ってから手探りで実験したものではない。スペイン人と一緒に作りながら覚えたものだから、いわば直伝です。
でそのスペイン人がトルティージャ、つまりオムレツの中味などを「揚げる」時、彼らは日本人が天ぷらやフライを揚げる時のように、高い温度の油にちょっとづつ材料を入れて、油の温度が下がらないようにして「揚げる」、などということはしないのです。比較的低温の油に大量のジャガイモを一度に入れて「グツグツと煮る」・・・

先ずジャガイモを厚さ3ミリくらい、そして形とサイズは任意の小片に切る。a0072316_16582146.jpgちなみに彼ら、つまりスペイン人はまな板を使わずに切ることが多い。りんごをむく時のようにジャガイモを持って、小型のナイフの刃を手前に向けて切る。
でも日本人がジャガイモのような固い素材をその方法で切る時には、切れすぎる包丁は使わないように!

それがヒタヒタに浸かるくらいの量の油を「暖めた」中へ、一度に全部のジャガイモを入れてグツグツと煮ていく。油はオリーブ・オイルでなくて構わない。スペインの家庭でも、大豆やひまわりの種から採った、オリーブ・オイルよりも安い油もよく使われてます。
ただ最近の日本の「健康にいい」油よりは、昔ながらの油の方がトルティージャらしい味が出るように思う。
好みに応じてにんにくやたまねぎも少量きざんで一緒に入れる。塩は油に入れる前でも後でも、或いは「煮てる」途中でも、ご随意に。人によって入れる時が違うってことです。
あ、コショウはいれない。スペイン料理の味付けの基本は塩とにんにくです。
で「煮えカゲン」の目安は、ジャガイモの種類にもよりますが、そのジャガイモが「スキトオッテ」来るまで。これも昔のジャガイモはみなそうなったような気がするんだけど最近のヤワラカイジャガイモはそうならないような・・・
昔のカタイジャガイモの方が、トルティージャには向いてるような・・・

ま、油やジャガイモの種類・成分その他については、プロの「料理研究家」等々に調べていただくことにいたしませう。よろしくおたの申します。

a0072316_1704935.jpg但し、ひとことで言うと、普通の日本人が「火が通ったかな?」「スキトオッテきたかな?」と思い始めてから、更にその倍くらいの時間を「待つ」ことをオススメします。(余談ながら、料理に関してはスペイン人、かなり気が長いと思う。)ためしに一部を取り出して、お箸やへらで押さえると簡単に割れて、じゃがいも同士がくっつくような感じになるまで待ってください。
(ジャガイモの食感が「ホクホク」ではなく「モチモチ」になるように! 写真はニンイクの芽と生ハムのキレッパシ入り)

中味が「煮え」たら、油を切って、タマゴをといた中に入れる。分量はジャガイモ1個に対しタマゴ1個くらいの割合・・・ジャガイモやタマゴに大小がある時はテキギ、シコーサクゴして下さい。
ジャガイモがかろうじてタマゴに浸かっている程度で、普通のオムレツにしたら皮が破れて中味が飛び出しそうな感じがするくらい具だくさんです。
それを一挙に全部、油をひいて熱したフライパンにあける。

でこっからが問題。どうやったらあのまん丸な形がつくれるのか?
丸はフライパンの形だからいいとしても、どうやってそれをコワサないで、両面こんがり、しかも焦がさずに、そして中まで火を通して焼くことができるのか?

これはスペイン人にとっても一大命題らしく、トルティージャ専用のフライパン、なんての、売ってます。フライパンの上にもうひとつ同じサイズのフライパンを逆さにしてかぶせたような形で、柄の反対側で繋がってて、開け閉めできる・・・
つまり片側が焼けた頃に上のフライパンでふたをして、フライパンごと上下をひっくり返して、今度は反対側のフライパンで裏を焼く・・・使い心地は、知りません。

いずれにせよ、そーゆー専用のフライパンがない場合はどーするか?

私は、かれこれ20数年も前に、若いスペイン人たちから習った「お皿を使って返す」方法が正統なのだと、ずーっと思っておりました。少なくとも、それから約15年の間は。

15年後に何があったのか? 偶然テレビで、プロがトルティージャを作るのを見たのだ。
そのプロはなんと! 中華なべでチャーハンをひっくり返す要領で、特大フライパンの中味、つまり生煮えのタマゴを、「そーれよッ」とばかり>空中に放り投げて、あっという間にひっくり返した! のであります。(ちなみにプロは、まな板も使った!) 

そしてちょっと時間がアトサキしますが、シロートが「中が固まる前に表面が焦げすぎないよう」、弱火でオソルオソル焼くのに比べ、最初っから強気の強火で、そして最初にジュッと焼けた底の部分を大まかにかきまぜて、そこにまだヤワラカイ材料を流しこみ、そして少し煮えて固めになった部分を上の方に持って来て・・・つまり日本料理の板前さんが「だし巻きタマゴ」を作る時のようにするのです。
そうしておいてから、巨大なフライパンを軽々と持ち上げてあやつり、いともあっけなくカンタンに、中味を空中でひっくり返した・・・のでありました。正にフライ返しのワザあり・・・
イタク感銘しまスた。

でもこの方法は、失敗したら中味がレンジや床に広がってオソージが大変なだけでなく、折角のトルティージャが食べられなくなる恐れがあるので、初心者はお皿を使った次の方法を参考にして下さい。スペインの家庭で、「フライ返し」に自信のない(?)アマの料理人たちが、ごく普通にやってる方法です。

熱したフライパンに中味を入れたら、表面が焦げないように弱火にして、材料が真ん中よりちょっと上まで固まるくらいまで待つ。そこで一旦火をとめ、フライパンの径よりふた回りくらい大きいお皿を持ってきて、トルティージャの入ったフライパンに蓋をするようにかぶせて置く。そしてお皿をしっかりと抑えたまま、1,2の3でフライパンとお皿を上下逆さにする。もう一度火を点け、同じフライパンに、お皿に乗った半焼けのトルティージャを、今度はスベらせるようにして入れる。そして「好みの焼きカゲン」になるまで更に待つ。プロのワザに比べると大分「待ち時間」が多いけど、これは弱火で焼くので仕方ないでしょう・・・

a0072316_173527.jpgたまねぎ入りのトルティージャが好きな人と、そうでない人がいるように、焼きカゲンの好みもさまざまです。中がちょっとトロッとして生っぽい方が好きな人もいれば、中まで固ーく焼けてるのがお好みの人もいる。
でもシロートの焼き方で中を生カゲンに残すのはちょっと難しいかも・・・かなり焼けてないとお皿に返す時にシルがいっぱい出ちゃうもんね。

だから生っぽいのが好きな人は「フライ返し」のワザをマスターすべくセッサタクマして下さい。プロが作るような特大のトルティージャはムリかもしれないけど、中くらいの、そしてあまり分厚くないのなら・・・そう、タマゴ3個分くらいの量なら…多分?できるようになります。a0072316_1744092.jpg

スペインのプロは30センチ以上もあるような特大のフライパンを返しましたが、先ずはせいぜい21センチくらいまでの小さめのフライパンで練習して下さい。

・・・幸運をお祈りしつつ・・・。
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# by peque-es | 2004-08-07 16:50 | スペインふう家庭料理
スペインふう家庭料理(はじめに)
2004年 08月 07日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合するのに伴い、表紙記事?を持って来ました。記事の年月日はホームページ開設のオオヨソの日付です。)

このカテゴリーに出てくる料理の大半は、スペインの街のブロックごとに1軒あるといってもよいbar や、高級レストランでもなんでもない定食屋で、ごく普通に出てくるものばかりです。

スペインでは毎日のように食べていたものが、日本に帰ったら食べられなくなった・・・アタリマエのようですが、空気のようなものの存在を感じるのはムツカシイってことです。

食べられなくなって初めて作ってみたくなったそれらの料理を、日本では手に入らない材料のかわりに何を使ってやろうかと頭をひねりながら、大半の場合自分の舌だけを頼りに作ってみる、創意工夫に満ちた記録ではあるけれど・・・
それはつまり、できるだけ簡単に、モノの本を調べたりというような努力はせずに、ということなので・・・

先ず、量はすべて目分量 (a ojo)です。
それからワインやオリーブ・オイルについてのウンチクも一切出てきませぬ。

でも時には・・・試食した人が「オイシイ」ということだってあるのだ!!

日本のスペインふうレストランの味とはちょっとイメージが違うかもしれないけど、スペインの庶民の味を集めた、スペインふう、おふくろの味ふう、 レシピふうページですので、よろしく・・・。
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# by peque-es | 2004-08-07 16:33 | スペインふう家庭料理