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少子化
2005年 05月 01日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

電車の中の広告を見てると、大学や各種スクールのものがやたら目につく。
特に大学は少子化時代を反映して、「オープン・キャンパス」等々、あの手この手で、生徒集めに必死みたいだ。大学に入るために過酷な競争があって、柔軟な若者の頭がツマンナイ試験勉強の知識でいっぱいになるのは確かに困るんだけど…
でも、ちょっとねえ、何だかねえ……

若い人はそれなりに、諸所の悩みを抱えているんだろうけど、ポスト団塊の世代から見ると、今の世の中、その気になればそこそこの大学には行けるんじゃないかと思える。
イヤ、需要と供給の関係から大雑把に推し量ってるだけですが。
推薦入学とかも増えて、高校・大学まではみんな、何とかなるような社会になってるような、そんな気がするのですね。

でも問題はその後。企業や社会は学校のように「引く手あまた」では迎えてくれない。
不況の時代は尚更だ。競争に勝ち残れるかどうか、いわば企業の生死がかかってるんだから、当然ですね。

でね、「ゆとり教育」で育って、「あの手この手」で大学まで行った子供たちの将来はどうなるのか? 
生徒の誘致に必死になってる大学は、その4年間で、生徒が社会に出てやって行ける実力、それぞれの専門分野でプロとしてやって行ける、せめてそのタマゴくらいの能力は引き出してくれるのだろうか??

ということになると、かなり不安なものがあります。元々日本の大学って、過酷な受験戦争の時代にも、「入ったら後は何とかなる」「入りさえすれば大丈夫」みたいなところがあって、諸外国に比べるとその教育は、かなり「ゆるい」ような印象がある。
大学だけじゃない、小学校からずっと、日本は「落第」が殆どない社会なのだ。就職の壁やリストラに突き当たるまでは。(2005年3月26日:≪成果主義の壁≫)

就職しない、或いは就職できない若者の数は確実に増えてるみたいだ。彼らはなんのために学校に行ったのか? 学校って人を「社会に出す」ための教育機関じゃないの??
専門課程の名前など見ると、巨大な(そして多額の費用がかかる)「趣味のお教室」みたいなことになってるんじゃないかと、思えてくるのもある。

「ゆとり教育」で大学や専門学校まではまあまあ順調に行けた子供たちが、世界に出て行って、小学校から「落第」のある環境で育ってきた外国人たちと競争しなくてはいけないということを考えると、少なからず暗澹とするのですね。

そんな、別に、世界に出てかなくったっていいじゃないって?
いや、日本人がいくら日本にとどまったって、世界が日本にやって来るんだよ!
江戸時代のように鎖国して国を封鎖しない限りは、そして日本が「豊かな社会」だと思われてる限りは、外国人の方が日本にやって来る。現に昔に比べれば、日本で仕事をして生活している、そして日本語を喋れる外国人の数は、ずっと多い。 
今の子供たちは、日本に居ながらにして、外国人と競争しなくてはいけなくなる。外国人と仕事のポストを、商談を、そして成果を競わなくてはいけなくなる。

だからね、私はカラクチのイジワルオバサンになることにした。姪や甥は滅多なことじゃ「誉めて」あげない! そんなことが一体どれくらいの効果があるか分からない、ま、ささやかな努力ですが…

2005年5月
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by peque-es | 2005-05-01 00:03 | Japón,Japan,Nippon..