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成果主義の壁
2005年 03月 31日
(ホームページの「ひとりごと」から。作成日は月までしか書いてなかったので、日時分は出たとこ勝負…)

企業の成果主義が行き詰ってる…そうだ。これもテレビで言ってたんだけど。
行き詰ってる企業があるそうです。必ずしも意図した効果が得られなかった…てことでしょう。

仕事のできる人もできない人も、或いはヤル気のある人もない人も、得られる報酬にそれほどの差が出ない年功序列を抜け出して、企業の活性化を図って行こうとしたはずの成果主義が、何故行き詰るのか? 
成果主義がうまく行くかどうかは、結局、「成果」というものを如何に正しく評価できるかにかかっているように思うのだけど、多分、今までの日本人的思考では、個人の価値やその仕事の成果というものを計ることは不可能に近いのだ。

『イヤ、だからさぁ、欧米の成果主義を直輸入するのではなくて、
日本では、あくまでも「公正」で「客観的」な評価ができるように制度を考えてさ、
抽象的な概念ではなく数字で表せるものを基準にして、
直接の上司だけではなく、人事や中立の立場の評価も加えて、
個人の業績を「総合的に」判断できるようにぃ…』

チガウんだってば! 「公正」で「客観的」で「総合的」な判断なんかで、個人の能力は計れない。第三者を納得させられるようにと、数字で表せるような基準に頼ってちゃ、ダメなんだよ。だって、それでは、結局みんな「無難」な評価になっちゃうでしょうが!! 

約25年も前になりますが、スペインの語学学校に行った私は、それまでの日本の教育では受けたことのないタイプの授業を受けた。当時国立だったその学校の「スペイン語科」では、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、そして日本やフィリピンなど、世界のさまざまな国から来た生徒達に、スペイン式の「国語教育」を授けていた。
フランスやイタリアなどのラテン語諸国の生徒たちは、言葉が似ているだけでなく、教育制度も似ているのだろう、何かにつけて有利だった。たとえばディクテーションや口頭試問なんて、日本の国語の授業じゃあ、出て来ないもんね。
日本人の生徒は上級に進むにすれて数が少なくなった。

中でも印象に残っているのは、「散文のコメント」というマテリアルだ。
「散文のコメント」とは何をするのか? 課題として引用された散文のテキストを読んで、それについてコメントするんであります。
なんだ、感想文のことかって? 違います。マッタク違う! 
日本の国語の感想文てのは、選ばれた課題や、或いは自分の好きな本について、つれづれなるままに思うところを書いていけばいい、極めて主観的なもののような気がする。採点する方も、そういう「主観的」なものを真っ向切って否定するわけには行かないというか、まあとにかく何か書いて出せば、一応合格点がもらえる、というような…ね?

そのスペインの語学学校の「散文のコメント」では、出された課題を読んで、まず個々の場所にどんな特徴があるか、述べなくてはいけなかった。たとえば「この箇所には○○のテクニックが使われている」「この部分の表現は非常に××で、これは後期ナニナニ派の特徴である」…うんぬんかんぬん…
そしてそういう「客観的な根拠」を10くらいも並べたところで、「これは恐らく、何世紀のナントカ主義の文学の1節であろう」と結論づける。作者を特定できればしてもいいが、そこまでは要求されない。そーゆーことを、試験時間にすると3時間くらいでやる訓練をするのだ。

面白いのは、結論はそれほど重要ではない、ということだ。その時の先生の言葉を借りれば、「アーギュメントがしっかりしていて、それに基づいて結論が引き出されているなら、その結論が間違っていても構わない」、そして逆に「たまたま課題に出たものを知っていて、これは何世紀のなんという作品だ、或いは作者は誰だ、なんてのはダメ、いくら正解でも、理由づけがきちんとできてなければ点はあげないから」と。

で、その採点は勿論、先生がひとつひとつ読んで、主観的にするわけです。
10点満点で5点以上が合格、だったっけか…古い話なのでちょっと忘れました。
いずれにせよ、そういう採点をするのは、マルバツ式や答の決まっているものを採点するより、ずっと大変だろうと想像する。でも採点する。結果「不合格」になったら追試、或いは落第。
とにかく書いて出せば単位がもらえる…というようなものとは随分違う。それだけの責任を当然のこととして引き受けて、課題ひとつひとつに点をつける。時には外国人生徒が採点に文句を付ける。日本人からみると屁理屈に思えるようなことを、延々と述べて食い下がる。でも先生も一歩も引かない。
「ノー! あなたのコメントは、かくかくしかじか、こういう理由で、付けた点以上は上げられない」

話が逸れたみたいだけど、私の頭の中ではしっかりつながってるのです。そういう「客観的」な評価を「主観的」に下して、しかもそれに対する責任を引き受けるという姿勢を、「評価する側」が貫けないなら、個人の評価なんてできないのだ。

それにしてもねえ、先生もそうだけど、諸外国の生徒たちは逞しかった! 勿論個人差はありますが、ラテン語系の国だけじゃなくって、他のヨーロッパ諸国やアフリカ、そして中近東の生徒たちも、外国語であるスペイン語で先生に食い下がって行く…
尚「韻文のコメント」ってのもありましたが、それについては又別の折にでも。

2005年3月

この記事に「昔の別荘」で頂いたコメント&お返事
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by peque-es | 2005-03-31 23:56 | Japón,Japan,Nippon..
ガンバルゾ! の缶詰? (Cocido madrileño)
2005年 03月 09日
(ホームページの≪スペインふう家庭料理≫をブログに統合し、記事を持って来ました。記事の年月日はオオヨソです。)

マドリッドの煮込み、という意味のコシード・マドリレーニョ (cocido madrileño)。
冬のマドリッドを代表する家庭料理だけど、煮込む材料はそれほど上等じゃない生ハムのブロック、煮込み用のチョリソ、モルシージャと呼ばれる血の腸詰・・・
日本じゃ手に入らへんもんばっか・・・と最初から諦めて放棄していた実験なのですが・・・
寒くなるにつれ懐かしくなって来た・・・ダメ元でやってみよう。

a0072316_17525797.jpg用意するのは先ず、ガルバンソ (garbanzo) という豆の缶詰。
これは輸入品です。最近は結構色んなところで売ってます。日本語では「ひよこ豆」というらしい。
牛肉のかたまり。骨付きの鶏肉…ほんとは gallina、つまり歳とって卵を産まなくなった(?)
「雌鳥」のカタイ肉を使って、それが柔らかくなるまで煮込むのが正攻法なんだけど、本場スペインでも普通の鶏肉で代用する人もいるので…ま、いいか、ウィングスティックとか手羽肉を使えば…。
肉の脂身はカタマリで売ってないし、どうせ食べる時には「好きじゃない」ので、味だけ出るように
ステーキ肉に付いて来た「牛脂」を入れてみよう。それから野菜はじゃがいも、玉ねぎ、人参、キャベツ。
マドリッドのレストランでは、時々、おでんの中に入ってるような「練り物」を入れたコシードに出会った。
正統派コシードには入ってるものらしい。材料は知りません。まさか白身の魚は入ってないと思う。

先ず牛肉のかたまりにたっぷり塩をすりこんで炒める。玉ねぎは出来上がったコシードに形が
あるのは見たことないけど、たぶん味付けに入っていて溶けてるんじゃないかと思うので、みじん切りにしてちょっとだけ入れてみる。肉の表面が焼けたら水を入れて、あとはひたすらグツグツと煮る。
水は少なめに、塩味を濃い目にして、肉に味がしみこむように心がける。
肉が柔らかくなってきたら、鶏肉を同じように塩で炒めてから入れ、又グツグツと煮る。
もう玉ねぎの形は見えません。

2種類の肉が充分柔らかくなったところで、大きめに切った野菜類を、固い順に入れて行く。
正統派のコシードは乾燥した豆を使うので、それは前の晩から水に浸しておいたのを、かなり
早いタイミングで入れるのだと思うけど、缶詰の「ひよこ豆」は既に煮えているので、柔らかくなり
過ぎないように最後に入れる。

これだけです。要はいかに辛抱強く、時間をかけて、固い肉が柔らかくなるまで煮るか、という
料理です。しかも玉ねぎ以外の野菜は形が残ってなくてはいけない。
そしてそれらの材料に、いかにそれぞれ丁度いい味がしみこんでいるか、これは忍耐とタイミングの料理だな、作ってみると… 肉の柔らかさや味のしみこみカゲンはどれ位がいいのか、残念ながら文にすることはかなり難しい。
こーゆー、時間をかけて煮込んで柔らかくした肉料理ってのは、日本には伝統がないので、一度食べてみるまではそのおいしさが伝わらないのだ。強いて言えば、最低でも3時間、骨付き鶏肉の骨が、カンタンにスプーンで捌けるくらいに柔らかくなってれば、合格です。
昔より忙しくなったスペインでは、煮る時間を短縮するために「圧力ナベ」を使う家庭も結構あるようだ。

生ハム・ブロックや煮物用チョリソ、モルシージャなど、味と風味の出るものがないので、コショウやパプリカ、そして固形スープをちょっとだけ使ったけど、それらの材料がなくても「時間をかけてていねいに」煮れば、それだけのおいしさが出ることが分かった。

a0072316_17541981.jpg最後に、このコシードの食べ方は…

…材料に味がしみこんだところで具を取り出し、残った味の濃いスープに水を入れて薄め、塩味を調整する。
それにスープ用の細かいパスタを入れて、つまり色んな材料のダシがたっぷり取れた煮汁をパスタ・スープにして、それを前菜として食べ、次にメイン・ディッシュとして、中味を盛り付けて出すのである。(↓)


a0072316_175619100.jpgひよこ豆がお皿の半分以上、肉類はそれぞれヒトカケづつを目安に、野菜類もひとかたまりづつ盛り分ける。「私、アブラミ、要らない」「キャベツ、もっとちょうだい」などと注文すれば、レストランでも応じてくれる。

実験の結果に気をよくして、又「ひよこ豆」の缶詰を買いに行った。スーパーのレジで、買った品物がスキャナーにかけられるのを、見張るともなく見張っていると(?)、モニターに「ガンバルゾ」という品名が浮かんで消えた。え? ナニ? そんな名前のもの、なんか買ったっけ??
 
キャッシャーの女の子の手元を見ると、今しも「ひよこ豆」の缶詰がスキャンされて、こちらのカゴに入るところでした。なんだ、そうか、「ガルバンソ」を見間違えたのか…??
でも清算が終わってレシートを見ると、そこにはしっかり「ガンバルゾ」と打ってあった。
garbanzo beans という聞きなれない横文字の品名を見て「がんばるぞ」と入力してしまったスーパーの社員(?)に、妙な親近感が湧いてきた。きっと「がんばるぞ」って自分に言い聞かせながら仕事してたに違いない? これからは私も、ひよこ豆やガルバンソじゃなくって、ガンバルゾって名前で呼ぼう。スペイン人にも広めてやるぞ!!?

尚、年末のスーパーで「ベーコン・ブロック」を見つけ、生ハム・ブロックの代わりに入れてみましたが、これはバツです。日本の普通のハム類は「妙に甘い」味が付いており、雰囲気がコワレます。
日本のハム・メーカーの皆さん、反省してください。お願いします。
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by peque-es | 2005-03-09 17:39 | スペインふう家庭料理