イジメ?
2006年 10月 19日
イジメという事が日本の学校で問題になり始めたのは、いつ頃だったんだろう?
昔の学校にも所謂スケープゴートみたいな存在はいたと思うのだけど、最近話題になってるイジメというのは、どうもそれとは違うらしい…良く分からないのだけど、でもイジメのニュースを聞くと思い出すことがある。

小学生の頃…っていうのはまあ、昭和レトロの時代ですね…クラスに余り人気のない子がいた。成績は良くはなかったけど普通くらいだったと思う。
何故かいつも、同性の男子生徒からからかわれ、時には女の子からも馬鹿にされることがあった。
だからと言ってひとりでポツンとしていたかというと、そういう記憶は余りなくて、みんなと一緒に遊んでいたと思うのだけれど、何かというとすぐ囃された。

当時の囃し言葉って…? 遠~い記憶を探ってみると、「お前の母さんで~べ~そ」とか、「お前の父さんチンドンヤ~」とか…?
…もしかしたら父親と母親が入れ違ってるかもしれません。

一度だけ、半ば後ろめたく感じながら、彼を囃す輪の中に入った記憶がある。当時はイジメに加わらなかったからと言って、それが又イジメの対象になるという事もなかったと思うのだけど、でも何となく、ひとりで気取ってる(?)のがいやだったのかもしれない。

担任の先生は、みんなのからかいの度合いが過ぎると注意していたが、ある時当人に続けて言った。「そんなクネクネしてないで、もっとしっかりしなさい、そんなだから馬鹿にされるんだ」というような事を。そのクネクネの形容に「女みたいに」という言葉を使った気もするんだけど、今だったら性差別? 先生も女でしたけどね。
確かにシャンと立ってられないというか、絶えずどこかを動かしてるようなところがあった。

その内、いつの間にか転校していなくなってしまった。

その後小学校の5年か6年の頃、近くの幼稚園でボランティアの先生たちがやっていた「日曜学校」というのに行き始めた。キリストの教えを聞くというよりは、日曜学校に行ってた他の子供たちと友達になりたくて行き始めたような感じで、実際先生の話はそっちのけで、お喋りばっかりしていて叱られた事が、1度や2度ではなかった気がする。

その日曜学校の本校というか、教会でクリスマスの行事があって、それに孤児院の子供達を招待した。お決まりのキリストの生誕劇とか、牧師さんのお話とかがあった訳ですが、観客席に、あのいつもからかわれていた男の子の姿があった。

誰かが話してくれたところによると、彼の両親は離婚して、兄と弟はそれぞれどちらかの親に引き取られ、でも真ん中の彼はどちらにも引き取られないで、孤児院に入れられた(…って話してくれた子は何で知ってたんだろう??)…それで学区が変って、他の小学校に転校したんだね、多分…

両親が離婚するなんていう事自体が、すごく珍しい時代で、身近でそんな事があるなんて思ってなかった気がする。そして兄弟の中で彼だけが孤児院に入れられたという事、両親のどちらも引き取らなかったという事に、何かビックリしたようなショックを受けたと思う。そして、2年位前には同じ学校の同級生だった子供と、こんな風に立場が変って出遭うというのは、すごくイヤなんじゃないだろうか? と想像した気がする。

でも本人は私たちの事は覚えてなかったか、気がついてないかのようだった…

こっちは今でも時々思い出すのに… seilonbenkei さんのこの記事を読んで、又思い出してしまった。

追記: なんとなくまとまらないで終ってしまった記事だったのですが、seilonbenkei さんの速攻コメントで、ひとつ頭の中が展開しました。 



それは「子供って残酷…」というひと言から…
確かに子供って残酷。でもそれはそもそも、人間というものに残酷な一面があるからなのでは?
エピソードに出てくる子供が両親のどちらにも引き取られず、兄弟の中でひとりだけ孤児院に送られたというのは、今考えると「残酷な運命ってあるんだなあ…」という感想なのだけど、当時自分がどう感じたのかを思い出してみると、どうもそういう言葉で表現できる何かではなかったような気がする。「残酷」という概念を学習したのって、もっとあとだったんじゃあ?…と思って「びっくりショック」というふうに書き換えてみましたが、それでも今イチぴったし来ないし…

そしてもうひとつ: これは更に古いエピソードなんですが、小学校低学年の時、クラスに「貧乏な」家庭の子供がいて、担任の先生は何かにつけて「○○君の家は貧乏だから」と言って、他の生徒たちが新しい文房具を買って貰った時など、古い文房具を彼にあげるように「指導」してたの。例えばクレパスのセット、新しいのを買ってもらった時に、古いほうは未だ使える、そういうのを持って来て、○○君にあげましょう…

当時はそれが「いい事」なのだと思って(多少誇らしいような気持ちもあった?)、言われた通りに古い文房具を○○君にと言って学校に持って行く。そうすると先生は○○君を前に呼んで、みんなの前で「ありがとう」と言わせる。

とても熱心な先生で、「善意の指導」だったと思うのですが、みんなの前でビンボー、ビンボーと言われて、お古を貰ってアリガトウと言わされていた○○君の気持ちはどうだったんだろう? と大きくなってから何度も思った。

昔の、特に田舎の公立校では、クラスの中に必ず「貧乏な家庭の子供」というのがいた。中学の時に神戸に引越し、その中学はたまたま「越境入学」をしてくる子供の数がすごく多いような進学校だったのだけど、それでも同級生の中には「夜間高校進学」の道を選ばなくてはいけない子供がいた。
更に東京の中学に転校した。進学校ではなく、駅前の商店街の子供たちが結構多かった。生徒たちの生活環境は、それまでの学校に比べて揃っていたような気がする。東京は広いので、一学区の中にそれほど極端な貧富の差ができないのだと、あとになって思った。
更に更に、私立の高校に行ったら、ある時同級生の女の子がびっくりするような発言をした。夏休みにバイトをしたら楽しかった。今まで中卒で就職する人たちはカワイソウと思っていたけど、そうじゃなくって、働くというのは楽しい、彼らも楽しいんだと分かった!…

それを聞いた時の感じは「唖然とした」とでも言えばいいのか…彼女には「就職せざるを得ない」子供の気持ちが、まるで分かってない…。

何が言いたいかというと、人生というのは時に残酷で、社会というのはそもそも不公平なものだけれど、昔の子供はそういうことを無意識のうちに学ぶ機会があったんじゃないか? ということ。

それに比べると今は、社会全体が豊かになって、ある意味均質化もして、子供たちが、そういう人生の真実、社会の現実のようなものに触れる機会を奪われて育っているんじゃないだろか? 種類の違う情報は溢れてますが!
日本の社会が豊かになったというだけでなく、家や学校での教育、或いは社会全体が「汚いもの、残酷なもの」に、タダ目隠しをする傾向にあるんじゃないだろか?
子供のいる妹の表現を借りると、それは一種の「純粋培養」。

ちょっと飛躍しますが、例えば「かちかち山は残酷」だとか、「ちびくろさんぼは差別」だとか、そういう事とも(頭の中では)繋がってきたりして…
 
…そしてそういう事が、どっか遠くの方で、「イジメ」の質が変ったことと、何か関係があるんじゃないかっていうような気もするのです。

…どう? 前より少し、まとまった?? (10月20日)
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by peque-es | 2006-10-19 23:38 | その他、色々、なんとなく…
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